2015年11月4日水曜日

最近のトラウマ理論(2)


 ちなみにここの記述は、私たちが解離性障害の方と話していてしばしば聞く体験とも一致する。彼らはたとえば、「人から言われてそのとおりだと思うと、どちらの考えなのかがわからなくなる」とおっしゃる。あるいは「人が自分にしてほしいと感じることと、自分がしたいことの区別がつかなくなる」、とも言う。これは深刻な自他の区別の混同ということになるが、それは統合失調症性の自我障害とは異質である。DIDの場合、意識は複数分かれている。そして誰かに共感した場合には、その人の意識も仮想的な自分の意識として脳の中で走っていることになる。それらの区別がつかなくなるのだ。それに比べてSの場合は本来単一の自己そのものが犯され、変質してしまう病理である。DIDは複数の運転手がいるマイクロバスであるのに比べ、Sの場合は単独の運転手が機能不全に陥るのである。
私の意見はともかく・・・・。フランケルはここでハインリッヒ・ラッカーの二つの同一化の議論が紹介される。分析の人々にはなじみ深い、例の同調型、補足型同一化という概念である。前者はその人そのものになり、後者はその人の内的な対象になりきる。すると攻撃者の望むとおりの行動をとる人は、後者の同一化を行っているということになる。これもやはりIWA(「攻撃者との同一化」)というわけなのだ。
ここら辺の議論は実に錯綜し、Frawley, Selihman, などの膨大な考察があるが、フランケルは、解離dissociation, 同一化 identification 取り入れ introjection の三つが一組になって働くという。まず攻撃者との遭遇で自分の気持ちは解離される。そして相手の心に入り込み、自分が何を期待されているかを知る(同一化)。 その後にそれを自分に取り入れ、期待されている人になる(取り入れ)。なるほどね。

なんか短いなあ。手抜きだ。