2015年11月23日月曜日

関係精神分析のゆくえ(7)

ロセインの「フロイトと対人関係」という論文も参照してみよう。(Lothane, ZFreud and the Interpersonal. International Forum of Psychoanalysis, 6:175-184)だいたい内容は重複しているけれどね。もう一度繰り返す。「もともとフロイトは, Liebesobjektlove-object)愛情対象という言葉を使ったのに、いつの間にかobject 対象に縮まってしまった。もともと「対象」に人という意味がないのにその言葉が使われたので、「対象関係」という本来ない言葉が出来てしまった。」結局これを主張し続けている人なわけだ。でもこれを書いていて嬉しい。私はやはりフロイトファンだったのか?何か師匠の小此木啓吾先生をほめられているような気がするのである。
この論旨に例の有名な論文Anonymity, neutrality, and confidentiality in the actual methods of Sigmund Freud: a review of 43 casesを重ね合わせてみよう。( Lynn DJ1, Vaillant GE. : Anonymity, neutrality, and confidentiality in the actual methods of Sigmund Freud: a review of 43 cases, 1907-1939. Am J Psychiatry. 1998 Feb;155(2):163-71.
この論文はフロイトがその人生の後半の19071939年の間に治療した43名の患者にインタビューなどをして調査したものだが、フロイトは以下の割合で自らの治療原則に反していたという。匿名性100%(43/43)、中立性 86%  (37/43)守秘義務53%(23/43)。間違ってはいけない。フロイトは100パーセントのケースで自分のことを患者に話していたというのである。更に治療外の関係は72%(31/43)に見られた。ただしこのリンの論調はさほどフロイトに対して批判的ではない。「この32年の間、フロイトは常に、自分が発表していた精神分析技法から逸れ、むしろ表出的であり、かなり強引に指示的forcefully directive であった。彼が推奨した技法は、実際の行動より上位にあるものと考え勝ちである。しかしそのような見方は科学的というよりも教訓的moralistic であるといえよう。フロイトの自己開示と指示的な態度は、現代の精神療法に関するリサーチが最も治療的と考えているものに極めて類似していたのである。