第14章 作家の自己愛
作家がことごとくナルシシストだと言うつもりはない。しかしナルシシストである作家は多い。これは考えてみれば当たり前の話である。書かれたものは自己表現の欲求の産物である。仕事で仕方なく文筆業を営んでいるという場合を除いて、作家は表現したいという、やむにやまれぬ欲求に駆られて文字を書き付ける(ワープロのキーをたたく)人々である。まずザッと書き、それから推敲を加える。文章のあちこちに手直しをし、ある程度満足が行く出来栄えまで持っていくという作業を毎日行う。表現の行き過ぎは削除し、新たな表現を得てそれに書き直す。そこには十分に自分自身を表現しえたという喜びが伴うだろう。これほど企図され、組織立てられた自己表現の手段はあるだろうか。その彼らが自己愛的な傾向を持たないほうが不思議だろう。
彼らはおそらく舞台でスポットライトを浴びることは好きではないかもしれない。特に喋りを得意としなかったり、容姿に自信がなかったり、あるいは待ったなしの状況でパフォーマンスを行うことには本来心地よさを感じない可能性もある。しかし書くものを通しては、人に大きなインパクトを与え、世論を率先して構成していく自信はあるはずだ。自らの本が本屋で平積みになっているのを見るのは彼らのナルシシズムをさぞかし満たすであろう。
彼らはおそらく舞台でスポットライトを浴びることは好きではないかもしれない。特に喋りを得意としなかったり、容姿に自信がなかったり、あるいは待ったなしの状況でパフォーマンスを行うことには本来心地よさを感じない可能性もある。しかし書くものを通しては、人に大きなインパクトを与え、世論を率先して構成していく自信はあるはずだ。自らの本が本屋で平積みになっているのを見るのは彼らのナルシシズムをさぞかし満たすであろう。
猪瀬直樹氏
(以下略)
(以下略)