カール・メニンガーの話の続きである。ここでフリードマンのメニンガー一家の伝記を読み返してみた(というか、PDFになっているこの本のファイルを開いてみた)。私の記憶と少し違っていた。1965年の4月21日から一週間の間に起きた出来事である。カールがすべてをかなりの独断で取り仕切っているやり方に、スタッフからいろいろ不満が出てきて、ある日部下たちが、話のわかる弟ウィリアムをボスに仕立てたという、一種のクーデターのような出来事だった。その時カールも地元にいたが、ある程度話が決まって、彼の側近までもが彼にそむいたことが彼に伝えられた。カールは激怒したが、結局仕方なくメニンガーのオフィスをたたんで、地元にあるVAホスピタルのオフィスの方に引き下がったという顛末である。
それまでウィリアムは兄カールに従う形でチームをまとめていた。ある意味では彼もまたカールの下で苦しんだわけである。といっても二人の兄弟の仲は比較的良好であった。何しろ一緒に分析を学んだ仲であるし、ウィリアムは温厚で兄を基本的には立てていたのだ。カールもまたウィリアウムの緻密で配慮の行き届いた仕事のおかげで自分の創造性が発揮される、と言っていた。しかしカールの問題は、自分で決めたことに、強引にみなを従わせようとし、自分に逆らう人に対して激しい感情をむき出しにするところにあった。また細かいことにこだわり、それを他人に押し付けるところもあった。これらは両方とも自己愛の問題として捉えることができよう。
ウィリアムはこう言ったという。「カールは細かいことに非常にこだわり、私に向かって『君は僕のことをわかっていない、僕の話を聞かない』というんだ。あるいは彼の言うことに疑問を投げかけることが出来ない。『僕のことを信頼していないんだな』となってしまうからだ。」(Friedman, p309)
私は特に、細かいことにこだわり、それを押し付けるという点が人々の気に触り、その自己愛的な人間を非常に不人気にするのではないかと思う。人はだれでも必ず何らかのこだわりを持つ。それは間違いのないことだ。朝起きた瞬間から、顔の洗い方、歯磨きのチューブの閉め方、トイレのふたの閉め方、朝食の際の箸の持ち方などにことごとくその人の癖が反映される。それ以外のやり方では落ち着かないし、それ以外のやり方をしている人を見ると気持ち悪くなる、ということが起きてくる。しかしそれを人は互いに見て見ぬふりをし、許し合う。お互い様だからだ。
ところが自己愛的な人間は、人をことごとく自分のやり方に従わせ、自分の色に染めようとする。そうしないとそれを見ている自分が落ち着かない、というそれだけの理由の場合もあるし、それが正しいやり方だから、と思い込んでいる場合もある。
ところが自己愛的な人間は、人をことごとく自分のやり方に従わせ、自分の色に染めようとする。そうしないとそれを見ている自分が落ち着かない、というそれだけの理由の場合もあるし、それが正しいやり方だから、と思い込んでいる場合もある。
私が昔会ったある高名な先生は、世間では押しも推されもせぬ大家であるにもかかわらず、奥さんに「あなたは箸もちゃんと持てないの?」と言われてしまっていた。もちろん奥さんはその先生の家庭外での幅広い活動のすべてに口出しをすることなど出来ない。むしろ先生としては結構自由にやらせてもらっていることに感謝している。すると細かいことは奥さんのコントロールに任せるということは、実は家庭円満のためには重要なことなのだ。
しかし人は自分の同僚や部下や友人に対して、自分の習慣や癖を押し付けるわけには行かない。そのようなことをしては、あっという間に関係が崩れてしまう。ところが一定の力を持った人間はそれをしおおせることがある。するとその人は自分が人を支配しているという感覚を持ち、自己愛的な満足体験を得るのだ。
しかし人は自分の同僚や部下や友人に対して、自分の習慣や癖を押し付けるわけには行かない。そのようなことをしては、あっという間に関係が崩れてしまう。ところが一定の力を持った人間はそれをしおおせることがある。するとその人は自分が人を支配しているという感覚を持ち、自己愛的な満足体験を得るのだ。
メニンガー兄弟の話に戻ろう。ともかくもこれを期に二人の仲には甚大な影響が及んだ。決定的な溝が生まれたのである。その頃アメリカを代表するニュースキャスターであるウォルター・クロンカイトが、すでに世界的に名を高めていたメニンガー・クリニックに取材に訪れた。彼は兄弟にインタビューを行なうつもりだったが、困ったことに二人が同席しないのである。そこでそれぞれを撮ったフィルムをつなげて3人で話しているように見せるという工夫を余儀なくされたという。
この兄弟葛藤の経緯を知るにつれて、カールのナルシシズムの問題が浮き彫りになってくる。彼はメニンガーの名を世界にとどろかすために、新しい土地を買い、事業を広く展開しようとしていた。他方ではそのための資金は膨大で、しかも資金調達のための募金活動は弟のウィリアムに任されていたのである。これらの葛藤は彼らの決別を準備していたことになる。カールはクーデターのあとも彼を陥れたスタッフにつらく当たり、特にカールがかつて精神分析を行ったスタッフに対しては、そこで得た個人情報を悪用しようとした。ウィリアムは抑うつ的になり、おそらくそれも遠因となり肺がんにかかり、1956年秋には世を去った。
ところでカールメニンガーは精神分析のトレーニングを受けている。精神分析は彼の自己愛をどのように扱ったのであろうか。カールはシカゴでフランツ・アレキサンダーから精神分析を受けたが、アレキサンダーは1934年にカールを伴い、ウィーンにフロイトを訪れている。その時アレキサンダーはフロイトに「この男は非常に自己愛的です。あまりおだてないほうがいいでしょう。」といったとされる(Friedman,108)。フロイトはきわめて冷たかったというが、その時カールは書いている。「フロイトは一体誰と話しているか想像もつかなかっただろう。」「私の自己愛は大きく傷ついた」とある。
カール自身がアレキサンダーとの分析を首尾よく行われたものとは思わなかった。アレキサンダーはしばしば治療境界を破り、他の患者のうわさをしたり、カール自身に浮気を継続するように示唆したという。カールはアレキサンダーとの分析の後に、ルース・ブランスウィックの分析を受けたが、彼女も分析の時間中に寝込んでしまったり、電話に出たり、自分の身体的な苦痛についての不平を漏らしたりするという行為が見られた。結局カールの分析体験は、「分析家は患者より自分のことが大事である」というお手本を見せられた形になったという(Friedman P86)。やれやれ。