2015年8月30日日曜日

自己愛(ナル)な人(推敲 19/50)

9章 ウーマナイザーな自己愛者 
「ウーマナイザー」とは、まだ日本語になりきっていない用語である。ちょっと聞いただけでは、意味が分からないという人はまだ多いかも知れない。英語のwomanizer は慣用的な表現で、「彼は大変なwomanizer だ」などという言い方をするが、日本語にすると「彼は女たらしだ」という訳が一番近いかもしれない。Womanizerはウェブスターの辞書によれば、「カジュアルな性的な関係を複数の女性と持つ人」となっている。つまり職場などで女性社員とイチャイチャしてメールアドレスの交換をしたり、デートの約束をしたりする人々である。世の中にはこの手のカテゴリーに入れるべきナル人間もたくさんいる。
 しかしこのwomenizer にはもう少し侵襲的なニュアンスもある。Womanize の元の意味は、effeminate (女性にする、女性化させる)もあるそうである。つまり普段は女性としてふるまっていない人を一方的に女性にしてしまう、というニュアンスがあるのだ。
 さてどうしてウーマナイザーなナルが多いのか? そこにはひとつの事情がある。ウーマナイザーは、定義上ある程度は「モテる」からだ。それが彼らを増長させ、自己愛的にさせる。少しもモテないウーマナイザーというのはありえない。ただのセクハラ親父に限りなく近いであろう。先ほども述べたように、ウーマナイズには、「女性にする」という意味もあるそうである。つまり相手の女性性を自覚させ、引き出してしまうということだが、そもそも女性が自分自身の女性性を意識するのは、彼女自身が相手を心惹かれる男性として認識した場合である。若い魅力的な男性を前にして、御年配の女性が突然恥らう乙女のように振舞うというシーンを、テレビなのでご覧になったこともあるであろう。あの現象である。 
ウーマナイザーの犯す初歩的な誤りを見てみよう。それは例えば女性の同僚ないしはスタッフへの「呼び方」の誤りである。
 30年前のアメリカでの体験である。あるわかい女性の精神科レジデントの前で、彼女の男性のスーパーバイザーの前で発した一言がちょっとした問題になりかけたことがある。男性のスーパーバイザーはドクターD。実はすでに第3章に登場させている。メキシコ人の彼は、ちょいワルの精神科医と言えたが、その言動にも時々問題が見られた。ある日自分の病棟で患者にコント担当になるDドクターGを紹介した。彼女はまだ医学部を出て間もない、20代半ばの若い精神科医である。見た目も実際愛らしあった。そのドクターGを患者に紹介する時、ドクターDはやってしまった。「○○さん(患者の名前)、これからはドクターGがあなたの担当ですよ。何でもわからないことは、このyoung ladyに聞いてくださいね。」これを耳にしたドクターGは憤慨した。「あたしのことをヤングレディーだって?なんて呼び方をするんですか!」ドクターDはおそらくこれまではそんな呼び方を、年若い女性のレジデントにはしていたのだろう。しかし女権社会のアメリカでは気を付けなければならないのがこの種の表現だ。ちなみに私はこのころはまだ英語に慣れていず、このyoung lady のどこがいけないのか、ピンと来なかった。でもこれはニュアンスとしては、もし日本で中年の医者が、研修医を患者に紹介し「今日からこのカワイ子ちゃんがあなたの主治医ですよ」と言うようなものだ。これでは日本でも問題発言になるだろう。その後ドクターDはその発言で、自分より年若いレジデントトレーニング長からおしかりを受けたという。
 日本でもおそらく会社なので若い女性社員に向かって「××ちゃん、お茶をいただける?」などと言う表現はパワハラ発言にあたるだろう。
上の例は、まだ継承の部類に属するであろうが、次に出す例は、結構深刻なウーマナイザーの例として、私が結構事情を詳しく知る機会があったものである。
はるか昔のことである。私がたまたま事情を知ることになったある文科系のE教授(50歳代前半)の振る舞いが問題にされたことがある。彼は自らのゼミ生の中で、特定の女性の学生に目をつけては、きわめて長時間の個人授業を行うことで知られていた。他のゼミ生には冷淡で指導もスパルタ式だったりあまりにも短時間で済ましたりするため、E教授の特定の女子学生へのこの態度は特に目立った。E教授は端正な顔立ちで、若いころはそれなりにモテたという思いがある。しかし歳もとり、顔立ち以外の要素がそれから大きく変わってしまっている。しかしそれでも自分がモテるという意識は不思議と強いらしく、女子学生を食事に誘ったり、さりげなく手を握ったり、キスを迫ったりするという行為へと発展した。そしてとうとう女子学生がハラスメント委員会に相談することがきっかけでE教授の振る舞いが明るみに出た。委員会の調査により、E教授のそのほかの女子学生への同様の行為も明らかになり、また家庭内でも、特に夫婦間で深刻な危機を抱えているということがわかった。E教授は解雇寸前まで行ったが、どうにか職にとどまった。
E教授のきわめてわかりやすい特徴があった。彼は通常は人に厳しく、またその博識ぶりを生かして学生の研究に厳しい注文をつけたり、論文を何度も書き直させたりするなどの行為が、指導を受ける学生の間でも有名で、またそれだけ畏れられてもいた。しかし自分が異性として関心を示す相手に関しては、相好が簡単に崩れ、話すときは生き生きとして身を乗り出すという態度の変化が誰の目にも歴然としているということだった。その態度の違いがあまりに歴然としていて、彼の人間性を疑う声は多く挙がっていた。話によればE教授の父親は地方の名士で、家庭外で複数の女性と関係を持ち、かなりお盛んだと有名であったという。
ウーマナイザーE教授は、ウーマナイザー一般の持つもうひとつの特徴を示していた。それは教授としての権力により学生たちが自分を一目置き、時には尊敬のまなざしを向けるという現象が、自分はモテる、カッコいいという幻想を生み、助長していたということだ。E教授には複数の著書もあり、またテレビに一度出演したということもあり、彼の教えを請うために大学に入学してくる学生もいた。その中には若い女子学生もいて、彼は彼女たちに尊敬の目を向けられることにより、外見上はそれなりに「モテ」ていたことになる。その彼が女子学生を長時間の「ゼミ指導」に誘い込み、アルバイトと称して自分の研究資料の整理ためにポケットマネーを費やして長時間一緒に過ごそうと試みた際、多くの女子学生は最初はその申し出を戸惑いつつも受け入れた。そこから彼の勘違いが始まり、それが徐々に膨らんで行ったわけである。
 E教授のもうひとつの典型的な特徴は、周囲からその問題行動を指摘された際に、まったく悪びれる様子がなかったということだ。直接訴えを持ち出した女子学生の話を間接的に聞き、E教授は「そうか、彼女はそんなことを言っていたのか・・・。ちょっと困らせちゃったかな。」という反応であり、全く懲りていない感じなのだ。
その後の調べで、E教授はウーマナイジングのためのさまざまな「技」を駆使していることが分かった。彼は自分にとって魅力的に映る女子学生や女性教員、事務員に対しては明らかにニコニコと愛想よく話し、時々それとなく顔を近づけて、フッと鼻息を吹きかけるそうなのだ。その時の相手の微妙な表情の変化から、自分に脈があるかを察知していたらしい。(と言っても相手があからさまに顔をそむけないのであれば、E教授にとっては「脈あり」と判断されていたらしいが。)さらには机を挟んで話をするときなど、自分の靴のつま先で相手の靴に触る、それで相手が足を引かなければ、靴下になって相手の靴を包み込む、という仕草もしていたという。これも彼の相手の「脈あり」を知るための方法であったらしいが、相手は自分の足に何が起きたのだろうとパニックになり、足をひっこめられなかったというのが実際らしい。
E教授に対するその後の検討から、女性のスタッフや学生たちの至った結論の一つは興味深かった。それは「E教授は結局、本当の意味でモテたという体験がないのだろう」ということだった。E教授は顔立ちこそ端正だったが、若い頃は学業に専念していたということもあり、またその頃はいかにも堅物という外見から、女性に敬遠されていたというところがあったらしい。「女性にモテたい」は若い頃のE教授にとっては念願であり、また決してかなわない夢でもあった。だから自然な会話や人間的な魅力で女性の関心を惹くという体験がそもそも持てなかった。彼は父親が町の名士ということもあり、見合いで現在の妻を得たが、最初から奥様に対する情熱は薄く、また非常に気の強い奥様に完全に尻に敷かれるという状態であったのだ。大学の教授職を得て突然女性が自分に注目をしてくれるという機会を得て、彼はいくつかの「技」を編み出すにいたったらしい。

E教授は勘違い男だったわけだが、では男性がそこそこ、あるいはかなりのモテ男だったらどうだろうか?事態はかなり厄介になる。権力にすり寄る女性はその分だけ多くなり、本人の勘違いもそれだけ深刻になる。
 私がよく例に出す米国のクリントン元大統領は、それに該当する人だった。もう一度登場していただこう。 タイムマガジンの記事を参考にする。
Bill Clinton By Claire SuddathThursday, Jan. 21, 2010Time Magazine電子版)

モニカ・ルインスキーだけが、クリントン元大統領の個人的な生活を公のもとにさらした女性ではなかった。もう一人話題となったジェニファー・フラワー女史は、1977年に、将来の大統領がアーカンサー州の知事だった時代に、ニュースレポーターとして彼に出会っている。彼女はそれからクリントン氏と12年間関係を結び、州の仕事を紹介されたこともあったという。フラワー氏は、クリントンが1992年に大統領候補だった時にこのことを明らかにし、クリントン氏は「シックスティミニッツ」という米国の有名なニュース番組で、それを否定している。フラワー氏はその後クリントン氏との電話の会話をテープに収めたものを公にし、それをクリントン氏は最終的に認めたのだが、それは1998年の裁判の席であった。この時クリントン氏は、アーカンサ―州の公務員であったポーラ・ジョーンズ女史にセクハラで訴えられていたのである。
ポーラ・ジョーンズのケースは、何しろ彼が大統領のときに始まった裁判なので、クリントン氏は大恥をかいたことになるが、あくまでも性的な関係を彼女と持ったことを否定。しかし結局巨額の金を払って和解したのだから怪しい、というより真っ黒である。
このようにクリントン氏のウーマナイザーぶりはよく知られるようになったが、それでも1996年には大統領に再選された。そしてルインスキー女史のケースで万事休すとなったわけである。
 2005年には、“Their Lives: The Women Targeted by the Clinton Machine” Candice E. JacksonWorld Ahead Pub. )という本が出版された。この本には、クリントン氏とかかわりを持った(持たされた)7人の女性のことが詳しく書かれている。その中には、クリントン氏に襲われたassaulted と自ら表現する女性の証言もある。
クリントン氏の話が「普通の」ウーメナイザーと異なるのは、クリントン氏がきわめてチャーミングな側面を併せ持っていたことだろう。長身でハンサム、非常に頭の切れる彼は、女性をかどわかすことにも命を懸けていたというところがある。それを妻のヒラリー氏はよくわかっていた。彼らの結婚生活は、最初の頃からクリントン氏の女癖の悪さに彩られていた。しかし何度も離婚の危機を迎えながら、ヒラリー氏がクリントン氏と別れなかったのは、彼女なりの計算があったと言われる。彼女自身の政治的な野心である。ヒラリー氏は結局彼と一緒に居続けることを選択し、次々と明らかになる夫のスキャンダルの火消しに躍起となった。大統領時代にはそこに彼らを取り巻くスタッフの強引なもみ消し工作が加わったことは容易に想像できる。結果としてクリントン氏のウーマナイザーぶりが、彼自身の妻の歪んだ「寛容さ」により助長されていたとすれば、なんと皮肉なことではないか。