たとえばアメリカ。ブッシュ大統領は2002年1月に、イラクが大量破壊兵器を保有するならず者国家であるとして、イラクへの攻撃を正当化した。しかし最終的にイラクに大量秘密兵器が見つからなかった時、アメリカはばつの悪さを隠さなかった。もちろんイラクに対して正式な謝罪をするなとはありえない。でも「悪さをしているところを見つかった子供」のような雰囲気であったと記憶している。そして2004年1月には、CIAのデビッド・ケイ博士が、米上院軍事委員会の公聴会で「私たちの見通しは誤っていた」と証言したのである。そして私が知っているアメリカ人たちも、おおむねそんな感じだ。彼らはブラフをよく使う。しかし嘘や誇張がばれると、すぐにミエミエの愛想笑いを浮かべ、機嫌取りに転じるというところがある。もちろんアメリカ人もさまざまであり、サイコパスからとんでもないお人よしまでいる。だから全体的な印象として述べているのである。
しかし世界各地へのサイバー攻撃が中国のある地区から発していることを米国の報道により示された2013年の3月、中国外務省の報道官は昂然と言い放った。「我々こそ米国のハッカーにサイバー攻撃を受けている、私たちは犠牲者なのだ。」これは「証拠が出てきても謝らない」という中国人の国民性がそのまま表れているといっていいだろう。
2015/03/16
には、外務省は、沖縄県の尖閣諸島が日本名で明記された中国の古い地図が見つかったとしてホームページで公表している。この地図は、中国政府の機関が1969年に出版したもので、「尖閣群島」のほか、「魚釣島」という日本の名称が使われているということだ。(ちょっとネット記事を拝借した。) しかしそれに対する中国側の反論は、「釣魚島が中国固有の領土だという事実をたった1枚の地図で覆すことは不可能」である。これなども「証拠が出てきても謝らない」中国人の傾向の、外交バージョンと言えるだろう。
このように中国という国の自己愛の在り方を考えた場合、私たちは次の点を問わなくてはならない。中国という国の自己愛は、すでに考察した「サイコパス型」と関係していないか。ここにもアメリカとの対比が役にたつであろう。アメリカという国も自己愛的であろうが、それは「厚皮タイプ」と認定することができるだろう。彼らはあからさまな嘘はつくのが下手である。むしろ下を向いて黙ってしまうのではないか。公開で自分の女性関係を質問されて、しどろもどろになった、元大統領のクリントン氏のように。(彼の話はよく出て来るな。) ところが中国の報道官の言動などは、聞く方が赤くなるほどの虚偽が含まれている。そして嘘をつく、という特徴を典型的に有するのが、サイコパス型の自己愛だったことはご記憶であろう。
私たち日本人の多くが、中国の人々のこのような言動を見ていて考え込んでしまう点がある。「こんなに嘘をついて、本人たちは大丈夫なのだろうか?」「彼らの心はよくぞ壊れないで働いているものだ。」 しかし私たちはすでに、うそをついても壊れない人々を知っている。サイコパスはその典型なのだ。彼らにとっては二つの矛盾する心は葛藤を生むことなく心に共存できる。それがむしろ心地よく、心の安定につながるかのように。
私たち日本人の多くが、中国の人々のこのような言動を見ていて考え込んでしまう点がある。「こんなに嘘をついて、本人たちは大丈夫なのだろうか?」「彼らの心はよくぞ壊れないで働いているものだ。」 しかし私たちはすでに、うそをついても壊れない人々を知っている。サイコパスはその典型なのだ。彼らにとっては二つの矛盾する心は葛藤を生むことなく心に共存できる。それがむしろ心地よく、心の安定につながるかのように。
もちろんこう書くからと言って、私は中国人を犯罪者扱いしているというわけではない。彼らは初対面の人に対しては決して信用しないだろう。交渉の際は相手の足元を見て、少しでも有利な条件で契約を結ぼうとする。そこでは事実を誇張したり、虚偽を交えて伝えることもあるかもしれない。しかしこのように周囲に猜疑の目を向け、同時に自分が相手から騙され、搾取されないかに注意を向けていることには、かなりのストレスを伴うはずだ。だから彼らのサイコパス的な振る舞いも、限られた人々に対してみせると考えるべきであろう。
他方では中国の人は家族や親しい友人、長く付き合っているビジネスパートナーは信用し、相手の恩に報いようとするという。信頼関係を持つ相手はいるわけだ。そこが本当のサイコパスと異なるところである。
他方では中国の人は家族や親しい友人、長く付き合っているビジネスパートナーは信用し、相手の恩に報いようとするという。信頼関係を持つ相手はいるわけだ。そこが本当のサイコパスと異なるところである。