ところで読者の中で「ナルシシストな医師というのは、男性に限った話ではないか?」という勘違いをなさっているかたもいるかもしれない。しかし女医さんでも事情はあまり変わらない。ただ日本においては女医さんの立場は多少男性の医師と異なることもある。だからナルの表れ方もそれなりに異なるだろう。
医師の世界は伝統的には男性社会であったということもあり、女医さん自身が堂々と振舞うことに抵抗を感じたり、圧倒的に数の多い看護職の女性たちから複雑な目で見られたりすることを意識しつつ振る舞う方もいる。しかし基本的には実力社会である医療現場で、十分な技量と経験ないし人望を備えた女医さんは、それなりのリスペクトを受ける。そしてそれにしたがって彼女たちの心の持ちようや態度は、自己愛的な要素を高めていく。思い出していただきたいのだが、自己愛とは社会がその人を丁重に扱ったり、その人が実質的な権力を有することにより、ある程度自然と備わっていくものである。偉くなった人が少しも自己愛的でない、というのは不自然なことですらある。(「「永遠のゼロ」に描かれた宮部久蔵氏を思い出した。」
私がかつて外来を担当していた精神科は、大きな総合病院の中にあるが、そこに向かう途中でさまざまな医療関係者が行きかうのに出会う。エレベーターに乗ると、白衣を身につけた女性でも、看護スタッフであったり、検査技師であったり、医師であったりする。そのうち女医さんたちが、「それなり」の雰囲気をかもしているのは、見ていて興味深かった。それをあえて特徴付けるならば、彼女たちが「着崩している」(若干だらしない)ということだろうか。彼女たちはボタンを一つ余計にはずしたり、あるいは白衣の前のボタンをはめずに、白衣を「翻して」颯爽と歩くことになる。あとはポケットに無造作に手を突っ込んでいたり、ちょっとツンとすました表情をしていたり。首の回りに聴診器を巻いていたらもう間違いないか。要するに彼女たちはちょっとだらしなく、ちょっとエラそうでナルシシスティックな雰囲気を作ることで、女医「以外」の女性との差別化を図っているというニュアンスがある。
私がかつて外来を担当していた精神科は、大きな総合病院の中にあるが、そこに向かう途中でさまざまな医療関係者が行きかうのに出会う。エレベーターに乗ると、白衣を身につけた女性でも、看護スタッフであったり、検査技師であったり、医師であったりする。そのうち女医さんたちが、「それなり」の雰囲気をかもしているのは、見ていて興味深かった。それをあえて特徴付けるならば、彼女たちが「着崩している」(若干だらしない)ということだろうか。彼女たちはボタンを一つ余計にはずしたり、あるいは白衣の前のボタンをはめずに、白衣を「翻して」颯爽と歩くことになる。あとはポケットに無造作に手を突っ込んでいたり、ちょっとツンとすました表情をしていたり。首の回りに聴診器を巻いていたらもう間違いないか。要するに彼女たちはちょっとだらしなく、ちょっとエラそうでナルシシスティックな雰囲気を作ることで、女医「以外」の女性との差別化を図っているというニュアンスがある。
ここでインターネットで「大門未知子」を調べてみよう。例の「ドクターX~外科医」というテレビ番組に出てきた、米倉涼子演じる、フリーの「失敗しない」手術の天才の外科の女医である。(半ば、ブラックジャクのパクリという説もあり。)やはり白衣の前のボタンを全部はずした画像しか出てこない。医師が白衣の前を空けているのは定番だが、女医さんもこれをやることで女医っぽくなり、ナルっぽくなるのである。
なぜダラしなくなるとそれだけ偉そうになるのか。例のサルのMRI画像の話を思い出していただきたい。上位のサルは前頭葉が忙しく働いていない。つまり「自分の態度が誰かに対して失礼に当たるのではないか?」と周囲を見ながらせわしく頭を働かせる必要がないのだ。自分の身なりや態度に「手を抜いて」いい。だからダラしなくていいというわけである。
というわけで女医さんだってしっかりナルだということを主張したかったわけだが、では男性医師と女性医師でどちらがナル度が高いか、などという疑問にはあまり意味はないかもしれない。どっちもどっちであり、どちらも相当周囲を困らせる自己愛者になる可能性がある。(この部分、あとから追加する可能性あり。)