2015年5月26日火曜日

「大文字の解離」理論 (5)

フェアバーン

私はフェアバーンについての特別の知識はほとんどないが、一つ押さえておかないことは、そもそも彼の「スキゾイド」の概念は、結局スプリッティングの概念、解離の議論、ということなのだ。
「ヒステリーの症状を伴う患者の研究により、以下の点に確信を持った。それは「ヒステリー」の解離現象は、自我のスプリッティングを含み、それは私が「スキゾイド」と呼ぶものと、その語源的な意味合いにおいて同一であるということだ。」(P92.
フェアバーンの代表作である、”psychoanalytic studies of the personality” (Routledge, 1952 ) には、「ヒステリー性の解離」という呼び方で、何度か解離に関する言及がある。それを読んでみる。「二重ないしは多重のパーソナリティの本質的にスキゾイドな性質については、ジャネ、ウィリアム:ジェームス、モートン・プリンスらによる多くの症例を通して論じられてきた。」

Fairbairn, W.D. (1952). Psychoanalytic Studies of the Personality. , 1-297. London: Tavistock Publications Limited.ロナルド・フェアベーン、人格の精神分析学 (講談社学術文庫1995.

しかし、では何をスキゾイドと呼ぶのかについては、とにかくよくわからないね。フェアバーンは、彼らには三つの特徴があるという(p.6)。全能感、孤立と超然さisolation and detachment、内的現実への関心の三つ。うーんよくわからない。フェアバーンにはとにかくからゆる病理にこのスキゾイド現象を見ているようだが、他の人には、結局どういうことかよくわからないような。ただ時代背景からいったら、1911年にブロイラーが schizophrenia を提出しているから、潜在的な病理は神経症憲にもたくさんいますよ、ということを言いたいのだろうか?もちろんすでにフロイトはなくなっているが、草場の陰で絶対言っていると思う。「だからさあ、意識が分かれる、という議論はやめようよ。力動的な議論が出来なくなっちゃうし。大丈夫なの?」というくらいか。

しかし私の印象では、スキゾイドの議論はフロイトが危惧したであろうようにはならず、もう少し穏当な路線で進んでいったようである。スキゾイドの議論についてはガントリップのまとめが一般的に受け入れられているようであるので、少し読んでみよう。「対象関係論の展開」(小此木、柏瀬訳、誠信書房、1981年、Harry Guntrip (1971)  Psychoanalytic theory, therapy, and the self, Basic Books) の第6章「スキゾイド問題」を読む限りは、その理論はトラウマ理論からは離れているということ。ニュアンスとしてはこんな感じだ。「ウィニコットも言っているように、『程よい母親』のケアを受けられないと、子供は偽りの自己ともいえる外面の下に、真の、傷つきやすい自己を分裂させる。これがスプリッティングの本質だ。」
実際にガントリップはこう書いている。
「冷たく、感情を欠いた知的な人物の外的な防衛がもし突き破られるならば、内に秘めた、傷つきやすくて、大変によく深く、しかも恐怖にみちた乳児的な自己が夢や空想の世界に現れてくる。ただし、このような自己は、外的な世界がみている表面的な自己、つまり偽りの自己(ウィニコット)から分裂・排除されている。」
こんな風に言えるだろうか。精神分析で始まったシゾイドの議論は、むしろ解離の議論から離れ、準 schizophrenia 状態としての schizoid の方向へとずれていってしまった。そしてトラウマの議論の代わりに、養育不全の問題へと推移していってしまったのである。
結局精神分析における解離の問題が、トラウマとの関連で再び焦点づけられるには、サリバンの登場を待つしかなかった。現代の精神分析における解離理論をけん引するドンネル・スターン先生は言う。「サリバンは古典的な分析家と違っていた。彼は欲動と防衛の衝突という観点ではなく、重要な他者との関係で実際に起きたことwhat had actually happened in relationships with significant othersを見据えていた」。そう、やはりフロイト理論は欲動論との結びつきを強調し過ぎが仇になったわけだ。ただしこのスターンの提言について、「実際に起きたこと」ではなく「実際に体験したこと」とすべきであろう。というのもすべては患者が何を実際に体験したか(何が実際に起きたか、ではなく)にかかっているからである。それが現代的な精神分析の見方である。
「サリバンにとっては、一番の防衛は、フロイトの抑圧ではなく、解離だった。なぜなら一番回避しなくてはならないのは、過去のトラウマの再来だからだ。」(スターン) このように考えると、対人関係学派=トラウマに基づいた理論=解離に基づいた理論という図式がピッタリくる。どうだろう。わが国では「対人関係学派は196070年代にはやった、時代遅れの理論」とみられがちだ(実は私もひそかにそう思っていたところがある。白状しよう。) が、全然違うことになる。これほど時代の最先端を行っている理論はない、ということだ。サリバンは半世紀以上時代を先取りしていたということができるだろうか。
 
サリバンの解離理論

サリバンは解離された自己の在り方を表現し、理論化した。彼の「よい自分 good me,「悪い自分 bad me」そしてこの「自分でない自分」という概念化にそれが表れている。最初の二つはおそらく多くの人が日常的に体験しているであろう。自分という存在に対する意識が、二つの対照的な自己イメージに分極化するという体験は、程度の差こそあれ、私たちの多くにとってなじみ深いはずである。自分の力を順当に発揮でき、「自分は結構やれるじゃないか?」と思えるときのセルフイメージ(「よい自分」)と「自分って全然だめだな」と思う時のセルフイメージ(「悪い自分」)とは、しばしば他人の評価により反転する形で体験されることがある。
 それに比べて「自分でない自分」は、むしろ非日常的でしばしば病的な形で現れる。その時の自分があたかも別の世界に逃げ込んでいるような状態、苦痛や恐怖や屈辱のために心をマヒさせるような形でしか、その体験をやり過ごす事が出来ないような状況において出現するのだ。さらに具体的に彼の言葉を追うならば、彼は「自分でない自分」は「深刻な悪夢や精神病的な状態でしか直接体験できず、解離状態としてしか観察されない」と考えた(Sullivan, 1953)。この時の体験は、それが深刻な苦痛が伴う為に決して学習されず、またより原始的な心性のレベル(彼のいう「プロトタキシック」、「パラタキシック」なレベル)でしか体験されないとしたのである。
 現在では、このサリバンの「自分でない自分」の概念は、トラウマや解離の文脈で再評価されるようになってきている。精神医学、心理学においてトラウマによる心の病理が再認識され、臨床家の注意が向けられるようになったのはここ30年ほどのことである。30年というと非常に長いという印象を与えるかもしれないが、その中で精神医学的、精神分析な考え方が徐々に変革を迫られていることを考えると、その動きは激動に近い。それを考えると、サリバンの治療態度はきわめて患者の側に立った共感的な態度ということが出来る。そしてそれで思い出すのが、フェレンツィなのである。サリバンが米国に訪れたフェレンツィの話を耳にし、自分に近い存在と感じて弟子のクララ・トンプソンをブタペストに遣ったのもきわめて合点がいくのである。