2015年5月4日月曜日

精神医学からみた暴力 (10)


 治療?

ちなみにこの項目は特に参考文献もなしに書いているので、とにかく最後まで終わらせよう。
先ほどの引用の問題部分をここに記そう。
保護者や大人が特異なパーソナリティに気付き、専門家の協力を得てコミニケーションの「育て直し」や「矯正」をおこなっていけば、彼や彼女たちは通常の社会のコミニケーションの中で生きることができるようになるはずだ。

非臨床系の人は、どうしてこんなに簡単に言うのだろう?専門家の協力? そもそも専門家とは誰だろう? 「育てなおし」など可能だろうか?そもそも人間を形成する中枢神経系は、コンピューターのように、初期化して改めてソフトをインストールするというわけにはいかない。それぞれの能力には臨界期があり、物心つくころには、それは閉じてしまっている。「育てなおし」は不可能なのだ。たとえて言えば学校英語を学んでもつたない英語しか話せない人に何千男万時間を費やしても、完璧なアクセントを身に着けることなどできない。バイオリンの弓を手にしたことのない40男は、何千何万時間の練習でも弾けるようにならないだろう。ましてや「他者の痛みを感じない」人の場合には、それを可能にする神経回路に欠損があるとしか考えられないから、育てなおしのしようがないではないか。
もし「教育」がある程度奏功し、このようなことをしたらあなたにこういう害が及びますよ、という理屈を教え、つまり先に述べた「前者の道徳性」を強化することで犯罪を減らすとしたら、それは罪を犯して刑務所で過ごした人がそれこそ身に染みて「学習」することのはずである。それにしては犯罪者の再犯率、特に性犯罪のそれの高さはどうだ?


 私が唯一治療の可能性として期待をかけるのは、「恨み」経路による暴力行為に及ぶ人の「治療」である。これも何度も出てくる秋葉原事件の犯人についてであるが、世間に対する恨みが、一時的にでも癒されるために必要なのは、コフート的なセルフオブジェクト、自己対象の提供なのである。それにより少しでも彼らの孤立無援や自暴自棄を遅らせることができるなら、それは暴力行為の暴発を防ぐことになりはしないだろうか?
<但し書き>
私はここの部分、最近の文献を読まずに書いている。もしかしたら犯罪者の治療論は、私が最後に書いた点以上に進んでいるかもしれない。そのために一通り私の考えを吐き出した後は、文献にあたってみることにする。