昨日の話の続き。
第1番目はそれがファンタジーやゲームに限定されている場合。もうこの説明はいいだろう。ちなみに脱線だが、最近テレビで、都市型のサバイバルゲームがはやっている。「ウィキ」すると
「サバイバルゲーム(Survival Game/Airsoft)[1]とは、主にエアソフトガンとBB弾を使って行う、概ね20世紀以降の銃器を用いた戦闘を模す日本発祥の遊び、あるいは競技。」えー、日本が発祥なの?「敵味方に分かれてお互いを撃ち合い、弾に当たったら失格となるのが基本的なルールとなる。ペイントボールが圧搾空気の力で発射される塗料入りの弾を用いるのに対し、サバイバルゲームはBB弾を発射するエアソフトガンを使用するため、「競技者の失格が自己申告制」「主に実銃を模した用具が使用される」という違いがある。
統一されたルールは存在せず、グループや大会ごとにルールは異なる。サバイバルゲームにおけるルールは一般的にレギュレーションと呼ばれるので、以降の表記は「レギュレーション」に統一する。」
都会でたとえば廃屋になったビルの一部を借りて行ったりする。若者が数人ずつに分かれて、武装して戦いあう。面白いだろうなあ。人を殺傷する実弾の代わりにゴム玉に変わっただけで、「殺し」はこれほど面白くなってしまうのだ。まあ話が脱線しそうなので、
第2番目 恨みによる、仕返しによる攻撃の正当化
第3番目 相手の痛みを感じることが出来ないことからくる攻撃の正当化
第4番目「キレる」ことによる正当化。あれ4つだったっけ?
第4番目「キレる」ことによる正当化。あれ4つだったっけ?
恨みを抱いている場合
裁判の例で、相手に憎しみを抱いている場合には、罪悪感のストッパーは簡単に外れるということを示した。自分の愛する人を殺めた人に、刃物を向けることは、精神的に健康な人で当ても、おそらくたやすいことなのだ。これは考えれば恐ろしいことではないか?そして人は様々な状況で他人に恨みを抱くことがある。私が一番懸念するのは、発達上両親に、そして世界に対して恨みを抱きつつ育った人の場合だ。幼少時に虐待的な親子関係にあった人の場合、トラウマの連鎖が起き、きょうだい間でのいじめ、学校でのいじめ、と引き続いていく可能性がある。その結果として自分は恵まれない、世界から求められていない存在であると感じ、自分は被害者であるという感覚が高まり、世界に対して恨みや憎しみを抱くようになった場合。神社仏閣に油を撒くというような愉快犯的な犯罪から始まり、無差別的な殺戮やテロ事件に至る場合がある。すでに述べた秋葉原の事件などは、まさにそのようなことが起きていたと察する。人はこれらの事件を耳にした時、いったい何が起きたのか、と不思議に感じるかもしれない。しかし通常の人々についても、ファンタジーの世界ではいかなる暴力的な行為もごく自然に生じていることを考えれば、特に驚くにはあたらないことになる。