2015年1月9日金曜日

再固定化の図を加えた

寒さもこの辺がピークかと思うと思うと少し気が楽になる。

再び記憶の再固定化の問題に戻り、その際脳の中で起きていることに関する私の仮説を示したい。それは私が「補助線」仮説と呼ぶものである。幾何学で補助線を一本引くと見えなかったものが急に見えてきて、問題が一挙に解決するということがある。それと同様に、脳においてもわずかな神経回路の疎通が、ある種の記憶や思考内容の全体の質を変えるということが起きるのではないか。そしてそれが記憶の改編や再固定化で生じているのではないか、というのが私の考えである。
 そもそも記憶の改編や再固定化とは、それほど特別な現象なのだろうか? たとえば気付きとか、「あ、そうか!」「Eureka」体験で起きていることとあまり変わらないのではないだろうか、という疑問も浮かんでくる。これについて少し考えて見よう。
 そもそも私たちがある事柄について決して忘れないような体験をする時、脳の中で何が起きているのか? 例えば長い間考えあぐねていた問題にあるヒントが与えられ、そこから一気にその問題が解決したとしよう。いわゆる「あ、そうか!」体験である。これは一度それが生じた場合には、二度とそれを忘れることはない性質のものとなりうる。その意味ではその問題に関する思考そのものが極めて迅速に改編され、ないしは再固定された例と考えることが出来るだろう。
  この例で思考が改編ないし再固定化された際の脳の中の機序は、ある意味では容易に想像できることだ。ちょうど円環の最後がつながったような状態である。神経回路ABがすでに形成されて、あとはABをつなぐほんの一本の短い回路が形成された状態と考えられるであろう。それにより主観的には「ああ、なんだ、AとはBのことなのだ」あるいは「ああ、ABを引き起こしたのだ」という体験となるだろう。その後には「AとはBである」という説明を繰り返し聞く必要がない。ほんの一回だけ、それも耳元でささやかれるだけでも、「ABだ」はそれ以降は再び学習をする必要がないほどに迅速な効果を及ぼす。学習という意味ではこれほど効率のいいものはない。それを私が比喩的に「補助線」と呼んでいるのである。




ひとつのわかりやすい例を挙げれば、私の主張が理解しやすくなるだろう。たとえばあなたの職場にAさんという同僚がいるとする。彼の振る舞いや言葉遣いはどこかで聞いたような気がするが、思い出せない。懐かしいが過去に会った覚えなどはない。ところがある日AさんがX県出身であることを知る。彼の言葉使いや言葉に見られるちょっとした訛りは、以前に親しくしていたBさんに似ているのだ。そしてBさんも確かX県出身と聞いていた。そこであなたはX県人としてのAさんという新たな思考を得る。そしてそれまで持っていたさまざまな疑問が氷解することになる。
X県人としてのAさん」という思考の持つ量は膨大である。それはその事実を知らされるまではあなたの頭に存在しなかった。しかしどうしてそれがほんの一瞬にして、しかもほぼ半永久的に形成されるのであろうか?私たちは4ケタの番号を記憶するのでさえ、何度も復唱しなくてはならないのである。その理由は、Aさんに関する様々な情報はすでに蓄積されており、またX県出身の人のプロトタイプについての記憶もすでに成立していたからだ。あとは両者の間に一本の回路が形成されただけだからである。ちょうど水をたたえた二つのダムの間に掘られたトンネルのようなものだ。シャベルによる最後のひと堀りで両者がつながり、そこには瞬く間に一つづきのダムが成立することになる。
 ただし脳科学的には、思考Pと思考Qがつながる、ということはダムがつながる以上の大きな影響が与えられることになる。それはPQという二つの神経回路が「同期化」するという現象である。ある思考内容が想起されているとき、それに相当する神経回路は興奮した状態になるが、その時の脳波は同期化していることになる。すなわちそれがひと塊として興奮し、少なくとも部分的にはその興奮の波形が一致することで(それぞれのサインカーブの位相が一致していることで)、その細部にまで思い至ることができるのである。Aさんを思い浮かべているとき、例えば彼の顔を想起した直後に声を想起することは比較的容易であろうし、彼の過去の経歴について聞き及んでいることも同時に思い出されるであろう。それはAさんに関係した様々な情報や記憶に関する回路が同時に励起しているからこそ可能なのである。
 逆にPQという回路につながりがないということは、Pの興奮に際してQが同時に興奮しない、つまり同時に想起できないということだ。そして両者につながりができるということは、Pの興奮がQの興奮を呼び、ないしはその逆のことが生じ、それが位相を同じくするということだ。それによりたとえばAさんの顔を思い浮かべても、その会話の記憶を掘り起こしても、それが「X県人」という思考と同時に興奮するようになる。これはおそらくこれまでのAさんの記憶に全く新たな色彩を与えることになる。「Aさんがあの時あのような表情をしたのは、X県人の特徴だったのだ」という形で、である。