2015年1月23日金曜日

恩師論 (1)


恩師について書く必要が生じた。
最初の前提である。私は素晴らしい恩師に出会えて自分を導いてもらった、というたぐいの話を聞くのが嫌だ。そう思う理由は二つある。
一つは、私がおそらくいい恩師に出会えていなくて、そのような話をする人がうらやましくてしょうがないのだ。テレビで松井秀喜氏が、長嶋茂雄氏という偉大な恩師から、手取り足取りバッティングをコーチしてもらったという話を聞いた。やはりどこか羨ましいし、悔しい。だから好きになれない。まあ、これはふざけた理由だ。だから私は●●さんが××先生の話をすると腹が立つのである。それはうらやましいからだ。

二つ目はもう少し真面目な理由である。それはなかなか理想化できるような人はいないからだ。ある非常にいい出会いがあり、その人に心酔したくなっても、その人は別の側面を持ち、全面的な理想化に耐えない。というよりは人の全側面を知ると、その人を理想化することはおそらくできなくなる。だから恩師とは距離を置いて、理想化を続けられることで初めてその人にとって一生の恩師、という感じになるのではないだろうか?恩師はあまり身近にいてはいけないのである。おそらくどんな恩師でも、いつも近くにいるとうざくて仕方なくなるだろう。どこかでラカンについて書いてあったが、ラカンはおそらく身近にいたらとても耐えられないような人であったという。でもあれほど理想化されている人もいないのではないだろうか?