親の意図は自分の意図? 解離が生じる道筋
私は家族や指導している学生にものを頼むのが苦手であった。近くまで買い物に行ってほしい、書類のコピーを取っておいてほしいなど、ちょっとしたことなら自分でやってしまいたいと思うことがよくあった。「こんなことを人に頼むのは悪い・・」と普通に思っていたのである。しかし学生を指導する立場になって10年、少しずつ頼む楽しさを味わうようになった。それは端的に「頼まれる」楽しさを相手の心に読めるようになったからだと思う。
自分自身を思い出してみれば、子供のころ親にものを頼まれるのは苦ではなかった。というより頼まれるという実感もなかった。親の意図は、すぐさま自分の意図になったからだと思う。幼いころよく隣の家まで回覧板(もう死語になっているはずであるが)を持って行ったことを覚えている。父親が脱サラをしたせいでとんでもない田舎での暮らしを始めるようになった小学生時代、隣家といえば数百メートル先の農家であった。そこまで畦道を歩いていく。途中に用水路があったり昆虫を採ったりする。首尾よく隣家にたどり着き、回覧板を渡すとねぎらわれ、紙に包んだお菓子を貰ったりした。まあそんな話はともかく…。
私が50年前の子供のころの私の中に確認したのは、回覧板を届けることに対する不満とか、怒りとか、親への恨みとかが全く見当たらないことである。回覧板を届けることくらいなら苦痛などないから、というかもしれない。しかし親がそれまでの都会生活を捨てて途方もない田舎に引っこんで事業を始めたことで被った途轍もない変化、2時間近くかけた汽車通学、駅まで2キロ半の、夏冬を通した自転車通学などを思い出しても、不満などなかったのである。そしてこれがもっと大変なことでも、私は不満などなく耐えた可能性がある。それはそもそも「親のせいで~なった」という発想の欠如なのだろうと思う。親の方針により私の生活に生じた変化、そしてそれが懲罰や見せしめや意地悪の意図を含んでいないものに関して、私はそれを自分が自主的に選択したものと同様と見なしていたのである。
ただし私が2キロ半の雪道を自転車を押して通う日に苦痛を感じていなかったと言えば嘘になる。ただ「頑張ったね」というメッセージは確実に受け取ることが出来ていた。これは大きかったかもしれない。でもだから耐えられていた、とは思わない。大げさに言えば、それを自分の運命と思って甘んじていたのだろう。
親の意図は自分の意図。これは実は子供の適応にとって重要なことなのであろう。そしてもちろん「親の意図」は友達の意図、先生の意図、国家の意図、という風に拡大しうる。なぜ自分はこの母国語を話すのだろう?なぜ青信号なら渡って、赤なら止まれ、なのだろう? なぜ式典では「君が代」、なのだろう?そんなことをいちいち考えていたら子供はあたりまえの「日本人の小学生」には永遠になれないかもしれない。タイムマシンでクロマニオン人の幼児を連れてきて日本の小学校に入れても、当たり前に周囲と同化してポケモンや妖怪ウォッチに夢中になるはずだ。環境はすでにそこに動かしがたいものとして存在し、自分はいつの間にか従っている。ミラーニューロンが十分に働く間はそれが自然に生じる。そのことへの疑問も生じない。そして親の方針や意志はその最たるものなのだ。(それに比べて六十近くなっての新しい地への適応がいかに大変なことか…。)
私が50年前の子供のころの私の中に確認したのは、回覧板を届けることに対する不満とか、怒りとか、親への恨みとかが全く見当たらないことである。回覧板を届けることくらいなら苦痛などないから、というかもしれない。しかし親がそれまでの都会生活を捨てて途方もない田舎に引っこんで事業を始めたことで被った途轍もない変化、2時間近くかけた汽車通学、駅まで2キロ半の、夏冬を通した自転車通学などを思い出しても、不満などなかったのである。そしてこれがもっと大変なことでも、私は不満などなく耐えた可能性がある。それはそもそも「親のせいで~なった」という発想の欠如なのだろうと思う。親の方針により私の生活に生じた変化、そしてそれが懲罰や見せしめや意地悪の意図を含んでいないものに関して、私はそれを自分が自主的に選択したものと同様と見なしていたのである。
ただし私が2キロ半の雪道を自転車を押して通う日に苦痛を感じていなかったと言えば嘘になる。ただ「頑張ったね」というメッセージは確実に受け取ることが出来ていた。これは大きかったかもしれない。でもだから耐えられていた、とは思わない。大げさに言えば、それを自分の運命と思って甘んじていたのだろう。
親の意図は自分の意図。これは実は子供の適応にとって重要なことなのであろう。そしてもちろん「親の意図」は友達の意図、先生の意図、国家の意図、という風に拡大しうる。なぜ自分はこの母国語を話すのだろう?なぜ青信号なら渡って、赤なら止まれ、なのだろう? なぜ式典では「君が代」、なのだろう?そんなことをいちいち考えていたら子供はあたりまえの「日本人の小学生」には永遠になれないかもしれない。タイムマシンでクロマニオン人の幼児を連れてきて日本の小学校に入れても、当たり前に周囲と同化してポケモンや妖怪ウォッチに夢中になるはずだ。環境はすでにそこに動かしがたいものとして存在し、自分はいつの間にか従っている。ミラーニューロンが十分に働く間はそれが自然に生じる。そのことへの疑問も生じない。そして親の方針や意志はその最たるものなのだ。(それに比べて六十近くなっての新しい地への適応がいかに大変なことか…。)
解離の話をする時になぜこんな話をしているかというと、虐待やトラウマや、それに関連した解離の問題も、またこのテーマに沿って理解すべき問題と思うからだ。親に叩かれること、命令されること、あるいは無視され、生きている意味を奪われるような言葉を浴びせられること。それらはおそらく無反省に受け入れられる。ただそれに伴う不満は実は存在する。他方でそれは本来ないはずの不満なのだ。親の意図は自分の意図と同じだから…。
ここから解離が始まる、というシナリオに、読者の方はおそらく賛成であろう。しかし私には一つのピースが不足しているように思う。どうして心の中に、親に対する怒りや不満が、心の別の部位で生まれるのだろうか?もともと子供の心には生じるはずのないそれらの感情が? 私たちはここで仮説的にならざるを得ないだろう。私の考えはこうである。子供の適応能力はおそらく私たちが考える以上のものである。その中には様々な思考や情動のパターンが存在するのであろう。それはドラマを見て、友達と話して、物語を読んで入り込む。その中には辛い仕事を押し付けられて不満に思い、相手を恨む人の話も出てくるだろう。子供のミラーニューロンはそれをわがことのようにして体験する。子供の心には、侵襲や迫害に対する正常な心の反応も、パターンとしては成立するはずだ。つまり親からの辛い仕打ちを受けた子供は、それを一方では淡々と受け入れ、心のどこかでは怒りや憎しみを伴って反応している。子供が正常な感性を持ち、正常なミラーニューロンの機能を備えていればこそ、そうなのである。後は両者を解離する機能が人より優れているとしたら、それらは別々に成立し、隔離されたままで進行していくのであろう。そこから先はまさにブラックボックスである。実に不思議であり得ないことが起きるのだ。解離の臨床をする人間に必要なのは、この不思議な現象を説明できないことに耐える能力なのだろう。