2014年12月12日金曜日

最新の解離(4)

3)解離と愛着理論-アラン・ショアの仕事

解離の治療論は、脳科学的な知見を得ることでどのように変わるのであろうか?これは臨床家にとっても重要な問題である。精神科の臨床医としての私はこの問題に大いに興味があるが、もちろん私自身が脳の研究を行なうという意味ではない。一人の人間が研究と臨床の両方に取り組むのにはあまりに時間が足りないのである。また私よりはるかに能力と熱意と時間とを持つ多くの研究者による脳の知見は続々と得られている。私にできるのは、優れた脳の研究者を導き手にしてそれを学び、一般の臨床家に伝えることである。
 私が現在その導き手として仰ぎ見る何人かの研究者の一人として、アラン・ショアAllan Schore博士がいる。実は彼は、研究と臨床の両方を行うことは普通はできない、といった先ほどの言葉の例外である。彼はよほど「ふつう」でない力を持っていると考えざるを得ない。
ショア先生は大変な碩学である。彼は脳と臨床を結び付けて論じるという活動をたいへん精力的に行っている。また彼は右脳の発達と解離の問題について非常に啓蒙的な著作を表している。本稿は基本的に彼の論文Allan Schore: Attachment trauma and the developing right brain: origins of pathological dissociation In D book, 107~140 を手掛かりに、この脳と解離という問題について探っていく。
ショアの主張をひとことで言うと、解離という心の働きを根本的に理解するためには、愛着の問題にまでさかのぼらなくてはならないということである。すなわち解離性障害とは、それが基本的にはいわゆる「愛着トラウマ」による障害のひとつ理解されることを常に念頭に置くべきなのである。
ただし解離は、愛着障害の直接的な結果というわけではない。解離はその二次的な反応というのだ。母親による情緒的な調節を行えないことで交感神経が興奮した状態が引き起こされる。すると心臓の鼓動や血圧が高進し、発汗が生じる。しかしそれに対する二次的な反応として、今度は副交感神経の興奮が起きる。するとむしろ鼓動は低下し、血圧も低下し、ちょうど擬死のような状態になる。この時特に興奮しているのが背側迷走神経のほうだ。(迷走神経を腹側、背側に分けて考えるのは最近の理論である。)解離は生理学的にはこのような状態として理解できるというのである。)
ショアはこの状態と、いわゆるタイプDの愛着との関連に転じる。タイプDの愛着とは、メアリー・エインスウォースの愛着の研究のあとを継いだもう一人のメアリー(メイン)の業績だ。ここで若干ではあるが、この愛着理論の由来となった研究について一言解説しておく。この研究は、子供を実験室に招き入れ、親が出て行ったところで子供が残された部屋にいきなり他人が侵入するという、いわゆるストレンジシチュエーションで、ストレスにさらされた子供が示す反応についての分類である。このうちA,B,Cという分類を行ったのがエインスウォースだが、メアリーメインという後継者が、ソロモンとともに新たに発見して提唱したのタイプDである。このタイプでは子供は親にしがみついたり、親に怒ったりというわかりやすいパターンを示さず、混乱してしまうのだ。ショアによれば、タイプDの特徴である混乱 disorganization と失見当は、解離と同義だという。これは虐待を受けた子供の80パーセントにみられるパターンであるという。
 わかりやすく言えば、このパターンを示す子供の親は虐待的であり、子供にとっては恐ろしい存在なため、子供は親に安心して接近することが出来ない。逆に親に向かって後ずさったり、親とも他人とも距離を置いて壁に向かっていったり、ということが起きるという。
このように解離性障害を、「幼児期の(性的)トラウマ」によるものとしてみるのではなく、愛着の障害としてみることのメリットは大きい。そして特定の愛着パターンが解離性障害と関係するという所見は、時には理論や予想が先行しやすい解離の議論にかなり確固とした実証的な素地を与える。
このタイプDについての話を続けよう。ショアはこれを示す赤ちゃんの行動は、活動と抑制の共存だという。つまり他人の侵入という状況で、愛着対象であるはずの親に向かっていこうという傾向と、それを抑制するような傾向が同時に見られるのだ。そしてそれが、エネルギーを消費する交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方がパラドキシカルに賦活されている状態であるとする。そしてそれがまさに解離状態であるというのだ。
これに関するもう一つの研究は、Tronick らによる、いわゆる「能面パラダイムstill-face procedure 」である。つまり子供に対面する親がいきなり表情を消して能面のようになると、こどもはそれに恐れをなし、急に体を支えられなくなったり、目をそらせたり、抑うつ的になったり、と言った解離のような反応を起こすというのだ。
このタイプDの愛着の概念が興味深いのは、そこで問題になっている解離様の反応は、実は母親の側にもみられるという点だ。母親は時には子供の前で恐怖の表情を示し、あたかも子供に対してそれを恐れ、解離してしまうような表情を見せることがあるという。そして母親に起きた解離は、子供に恐怖反応を起こさせるアラームとなるというのだ。(同論文114ページ、引用された文献はHesse, E., & Main, M. (2006). Frightened, threatening, and dissociative parental behavior in low-risk samples: Description, discussion, and i nterpretations. Development and Psychopathology, 1 8, 309-343.
このことからショアが提唱していることは以下の点だ。幼児は幼いころに母親を通して、その情緒反応を自分の中に取り込んでいく。それはより具体的には、母親の特に右脳の皮質辺縁系のニューロンの発火パターンの取り入れ、ということである。ちょうど子供が母親の発する言葉やアクセントを自分の中に取り込むように、と考えるとわかりやすいであろう。そしてこれが、ストレスへの反応が世代間伝達を受けるということなのだ。そしてそこに解離様反応の世代間伝達も含まれるのである。
私はこの部分を書きながら、ひとつ思い出すことがある。「柔らかな遺伝子」(マット・リドレー)に、人間に育てられたサルは始めは蛇を怖がらないという。そこで蛇に野生のサルが反応する映像を子ザルたちに見せると、いっぺんで怖がるようになるという。野生のサルが檻のてっぺんまで飛びのいて、驚愕に口をパクパクさせるのを見た後は、子ザルたちは模型の蛇でさえ怖がるようになる。これはどういうことだろうか。ある見方からすれば、子ザルたちはビデオを通して母親の情緒反応パターンを取り込んだのだ。ショアの主張のとおりである。ところが別の見方をすれば、一緒にトラウマを味わったことになる。子供が幼少時に受けるトラウマはこのように、刷り込みの意味を含むからこそ意味が深いことになる。おそらくトラウマを起こしてきた人の様子も含めて、右脳の皮質辺縁系の回路に刷り込まれるというわけだ。そしてそれが解離についてもいえるということになる。


解離と右脳
これまでの記述から、解離と愛着の問題の概要がご理解いただけたと思う。解離において生じていることは、愛着の障害の一環として理解できる。それは生理学的に言えば、交感神経の過活動の次の相として起きてくる状態、すなわち副交感神経の過覚醒状態ということが出来る。
 ところで愛着や解離の理論において、特にショアが強調するのが、右脳の機能の優位性である。そもそも愛着とは、母親と子供の右脳の同調により深まっていく。親は視線を通して、その声のトーンを通して、そして体の接触を通して子どもと様々な情報を交換している。子供の感情や自律神経の状態は安定した母親のそれによって調節されていくのだ。この時期は子供の中枢神経や自律神経が急速に育ち、成熟に向かっていく。それらの成熟とともに、子供は自分自身で感情や自律神経を調整するすべを学ぶ。究極的にはそれが当人の持つレジリエンスとなっていくのである。
逆に愛着の失敗やトラウマ等で同調不全が生じた場合は、それが解離の病理にもつながっていく。つまりトラウマや解離反応において生じているのは、一種の右脳の機能不全というわけである。ショアがこれを強調するのには、それなりの根拠がある。というのも人間の発達段階において、特に生後の最初の一年でまず機能を発揮し始めるのは右脳だからだ。そのとき左脳はまだ成熟を始めていない。するとたとえば生後二か月になり、後頭葉の皮質のシナプス形成が始まると、その情報は主として右脳に流れ、右脳が興奮を示す。(Tzourio-Mazoyer, 2002) (Tzourio-Mazoyer,N.,DeSchonen,S.,Crivello,F.,Reutter,B.,Aujard,Y. & Mazoyer,B . (2002). Neural correlates of woman face processing by2-month-old infants.Neuroimage, 15,454-46l.)
子供がより成長し、左右の海馬の機能などが備わり、時系列的な記憶が備わり始めるのは、4,5歳になってからだ。しかしではそれ以前に生じたトラウマは意味を持たないのかといえば、そうではない。赤ん坊は何も記憶ができない状態でも、すでに生理学的な存在として、その脳はさまざまなストレスに対する対応のパターンを形成していく。そしてそれが主として右脳を主座とて生じる。そこで誤ったパターンが形成された場合は、その後の人生でその影響をこうむることになる。
 では右脳の機能がきちんと発達し、備わっていくことを示すのは何か。それが愛着なのである。愛着がきちんと成立することは、右脳が正常な機能を獲得したということを意味する。
 さて解離の右脳でおきていることを知るためには、PTSDの右脳でおきていることを理解する必要がある。解離とPTSDは、ともにトラウマの反応といえるが、そこではおおむね逆のことがおきているものとして説明し、理解するのが最近の傾向である。PTSDに関する生物学的な研究はかなり進んでいるため、解離をそれの裏返しと考えることで、同時に解離の生物学的な理解も歩調を合わせることが出来るのだ。
 ただし少し複雑なのは、PTSDの患者でも、解離状態を呈することがあるという点だ。PTSDでは典型的なフラッシュバックの時のように過覚醒になる時もあれば、鈍麻反応の時のように、心身の活動が低下する場合もあり、後者の場合はより「解離的」となる。このことをかのヴァンデアコーク先生は、トラウマにおける「二相性の反応」と呼んだ。PTSDはすでに解離反応を内側に含んでいる、というのが解離論者の考え方である。
そこでまず、PTSDの典型的なフラッシュバック時などのような過覚醒状態を考えると、心臓の脈拍の亢進とともに、右後帯状回、右尾状核、右後頭葉、右頭頂葉の興奮がみられるという(Lanius et al, 2004) 。そして解離状態の場合、ないしはPTSDの患者が解離的な状態に反転した場合、たとえばトラウマ状況を描いた文章を聞くことで逆に脈拍数が下がったりする場合には、逆に右の上、中側頭回の興奮のパターンが見られたり、もっと最近では右の島および前頭葉の興奮が見られるという(Lanius, 2005)。いずれにせよ過覚醒にしても解離状態にしても、そこで異常所見を示すのは右脳の各部ということになる。
 ではこれらの独特の脳の活動のパターンが形成されるのはいつなのか?ここで先ほど述べたD型の愛着の話が絡んでくる。つまりそれは幼少時であり、その際のトラウマは右脳の独特の興奮のパターンを作り出し、それがフラッシュバックのような過剰興奮の状態と解離のようなむしろ低下した興奮状態のパターンの両方を形成する可能性があるというわけだ。通常はトラウマが生じた際は、体中のアラームが鳴り響き、過覚醒状態となる。そこで母親による慰撫 soothing が得られると、その過剰な興奮が徐々に和らぐ。しかしD型の愛着が形成されるような母子関係において、その慰撫が得られなかった際に生じると考えることが出来る。それがいわば反跳する形で逆の弛緩へと向かったのが解離と考えることが出来るのだ。
そして解離は特に右脳の情緒的な情報の統合の低下を意味し、右の前帯状回こそが解離の病理の座であるという説もあるという。
ここでさらにショアの説を紹介するならば、右脳は、左脳にも増して、大脳辺縁系やそのほかの皮質下の「闘争逃避」反応を生むような領域との連携を持つ。これは生後はまずは右脳が働き始めるという事情を考えれば妥当な理解であろう。そして右脳の皮質と皮質下は縦に連携をしていて、この連携が外れてしまうのが解離なのである。ここで大脳皮質というのは知覚などの外的な情報のインプットが起きるところだ。それに比べて皮質下の辺縁系や自律神経は体や心の内側からのインプットが生じる場所である。そして皮質はその内側からのインプットを基本的には抑制する働きがある。そのことは、この抑制が外れるとき、例えばお酒を飲んだ時にどうなるかを考えれば理解できるのだ。

CANという概念
この右脳の機能をわかりやすく表す言葉として、CANという概念がある。これはCNS-ANS limbic circuits の省略形である。ここでCNSとは中枢神経系 Central Nervous Systemを、ANSは自律神経系 Autonomic Nervous Systemを意味している。つまり CANとは「中枢神経-自律神経-辺縁系」を結ぶサーキットのことだ。上に述べた皮質と皮質下の連携のことである。
このCANは内的、外的な刺激を統合し、目的に沿った行動に貢献するものである。その中では情報が「上から下へ」(つまり皮質から辺縁系へ)あるいは「下から上へ」と両方向に行き来し、交感、副交感神経のアウトプットを生じさせる。このCANにはさまざまな情報が入るが、それによりかなり柔軟な対応を見せ、交感、副交感神経は相互補完的に流動的に動く。ところがその柔軟性、流動性が失われてしまうのが、トラウマにおける反応である。それはたとえばトラウマ状況にある母親の一方での興奮と、他方での解離という情報を同時に得て両方向に引っ張られるという状況により生じる。それが極端になると、CANの中の連携がちぐはぐになり、子供も解離を起こすという。つまり解離とはこのCAN内の齟齬、不調和という形をとるのである。ここでその不調和は、たとえば副交感神経のうちより洗練された腹部の機能から、同じ副交感神経の背部の機能に移ってしまうという形をとるという。この理論の支えになっているのが、ポージス Porges という研究者の理論である。彼によれば迷走神経は、進化論的により新しい腹側迷走神経と、より古い背側迷走神経に分かれ、ストレス時にはその支配が腹側から背側へと移り、より原始的な反射としての解離状態が生じるというわけである。
解離と右脳との関係(というよりは幼少時のトラウマと右脳の機能不全)については近年になりさらにいろいろなエビデンスが出されているようだ(D book p.22)。霊長類に関する研究では、フリージング状態では、右前頭葉の過活動(直観的には活動低下と思うのだが)とストレスホルモンの一種のコルチゾールのベレルの低下がみられるという。ラットでも右頭頂葉の病変により、一定の条件下で生じていたフリージング現象が起きなくなるという研究もある。とにかく霊長類とか幼児に見られるフリージングとは背側迷走神経の興奮と徐脈とが関係し、それは深刻な病的解離であるというのがショアの説明である。
ところでここは補足であるが、解離において起きていることを明らかにするということは、これまでの恐怖の際のキャノンの理論、つまり「fight-flight response 闘争-逃避反応」だけでは物足りないという理解を私たちに促す。私もすでにこのことについて書いているが、要するにキャノンのストレス時の二つのFの理論に加え、もうひとつのFが加わるのである。つまりストレス時には固まり反応 freeze response も加わるのだ。そしてそれだけではなくもう一つPが加わり、それが麻痺反応 paralysis であるという。すると危機の際の反応は、
積極的なもの・・・・闘争、逃避
消極的なもの・・・・固まり、麻痺
の二種類に分かれることになる。そして後者の消極的なものは解離に関係づけられるというわけである。このうち固まり反射と麻痺との違いは、前者はまだ意識があるが、後者は意識がない状態ということだが、これは背側迷走神経核の興奮の度合いにより異なるらしい。ショックの際に徐脈になる反応というのが知られているが(fear bradycardia 恐怖徐脈)それがさらに深刻になると失神に至るということだ。
ともかくも現代的な恐怖反応は、もはや「FF」ではなく、「FFFP」であるということは、記憶にとどめておきたい。
 

ショアの説く自己の理論
最後にショアがとく自己 self の理論が興味深いので、付け加えておきたい。彼の説は、脳の発達とは自己の発達であり、それはもうひとつの自己(典型的な場合は母親のそれ)との交流により成立する、というものである。そしてその中でも最初に発達を開始する右脳の機能が大きく関与している。
ショアは、自己の表象は、左脳と右脳の両方に別々に存在するという考えがコンセンサスを得つつあるという。前者には言語的な自己表象が、後者には情緒的な自己表象が関係しているというわけだ。この右脳の自己表象とは、フロイトの無意識や、非明示的な情報処理とも関係しているという。さてこのままだと右脳の自己というのはなにやら抽象的でつかみどころのないものなのだが、一説によると右脳の非言語的な自己を支えているのが、情緒的に際立った体験と記憶であるという(Happaney, et al 2004Happaney, K., Zelazo, P.D., & Stuss, D.T. (2004). Development of orbitofrontal function: Current themes and future directions. Brain and Cognition, 55, 1-10.)。つまり具体的な体験や記憶がその右脳の自己のネットワークを紡いでいるということだ。そしてそれは身体的な自己の形成をもつかさどる。右の島前部 anterior insula、右の眼窩前頭皮質は共同で意識化できるような内臓レベルでの反応を形成するという。それが自己の主観的な感情レベルの形成に貢献するというCritchley,et al .2004Critchley, H. D., Wiens, S., Rothstein, P., Ohman, A., & Dolan, R . J. (2004). Neural systems supporting interoceptive awareness. Nature Neuroscience, 7, 189-195.)。自己、といってもその具体的な内容は、神経ネットワークであり、それは記憶により成立しているものだ。そしてそれを妨害し、そのネットワークの成立を根底から揺るがすのがトラウマ体験であるという。右脳の刺激によりさまざまな離人体験が引き起こされるというBlanke2002)らの研究もそれに関係しているということになる。Blanke, O, Ortigue, S., Landis, T., & Seeck, M . (2002).Stimu lating i l lusory own-body perceptions. Nature, 419, 269-270.