2014年11月30日日曜日

発達障害と心理療法 (7)


相手の痛みがわからない、相手の優しさがわからない

「自分が相手を利用している」感の由来は、相手が痛みを感じているという実感であろう。その実感はおそらく幼少時に対象と同一化をするプロセスに「込み」で体験され、習得されるに違いない。
 他方自分たち自身の痛みについては十二分に体験する事が出来る。彼らとのかかわりを進めて一つ印象深いのは、彼らは他人からの肯定を強烈に求めていたということである。そしてそれと同時に、その願望が満たされなかったときに、強烈な恥の感情や「不当に扱われた」という不満を聞くことが多い。自分の痛みは十二分に感じ取ることができ、他方で相手の痛みを感じにくいという非対象が、深刻な事態を生む可能性がある。それは、相互に功利的な関係性の中で「自分だけ不当に利用されている」という感覚を生むということである。その結果として「どうして自分を不当に扱うのか」についての訴えが増すことになる。これは周囲に戸惑いを生むだろう。いわば同じルールに従ったカードゲームをしているのに、一方的にルール違反をしたと非難されてしまうという感覚を生むことになるだろう。
さて私が最初に書いたことに関連したテーマである。一部の人は、「人の優しさ」がわからないのだろうか?
ここにある方が語った、自分の両親に対する気持ちである。
(省略)


この方に見られるような、人から何かをしてもらった際に感謝をしない傾向、むしろ文句を言いクレームをつけるような傾向は、治療場面ではそのまま逆転移の問題としてかなり鮮明な形で生じやすい。それはAさんに見られたような行動、に対する私の感情的な反応である。
 もちろん学生カウンセラーの対応にも不備な点はあろうし、私の配慮も十分ではなかったかもしれない。患者も治療者も、親も子も不完全な人間である。それでも相手の気持ちをくみ、不十分な点はその気持ちが充填してくれていると感じ、感謝の気持ちを持つ。それは相手に対する不満や怒りの感情があったとしても、それとは別に感じられる場合が多い。それが相手に対するアンビバレンスを持つ能力を意味する。このような能力が一部の方々には十分でないような気がする。