2014年11月26日水曜日

自己愛と恥について 推敲の推敲(1)


自己愛の問題と「自己愛トラウマ」

私に与えられたのは「自己愛と恥について」であるが、これはとてもありがたいテーマである。というのもこれ以外のテーマでは書きようがないと感じるほどに、私にとっては自己愛のテーマと恥とは不可分なのである。
そもそも自己愛の問題を臨床的に取り扱わなくてはならないのはなぜか。それは人の持つ自己愛の問題が主として周囲に大きな迷惑や災厄を及ぼすからである。自己愛者(本稿ではこのような呼び方をさせていただこう)は周囲の人々に対して、支配的に振る舞ったり、怒りをぶつけたりする。彼らの多くは社会の中では強者であり、虐待者の側に立ちやすい存在と言える。彼らの病理を理解し、治療的に扱うことは多くの人を救うことになるのだ。
このような自己愛者の振る舞いを理解するためには、彼らの心にある、実は非常に脆弱でもろい部分を把握する必要がある。彼らはそこを突かれ、侵害されたと感じて、周囲に対して反撃しているという部分がほとんどなのだ。ある意味では彼ら自身が最初にトラウマを体験していて、自己愛的な言動もそれに対する反応として理解せざるを得ないのである。私は最近「恥と自己愛トラウマ」という著書を上梓したが、このタイトルはそのような事情を端的に表しているといっていい。
 ちなみに自己愛トラウマというのは私の造語である。自己愛の傷つきが人間の心的なトラウマのかなりの部分を占め、またそれに対する反応は他者への攻撃や辱めである。これは自己愛人格にとどまる問題ではなく、実は私たち人間すべてに多かれ少なかれ言えることである。とすれば自己愛やその傷付きによるトラウマを知ることは人の心を理解する上で非常に重要である。
 以上は「恥と自己愛トラウマ」における主張の要旨であるが、ここで改めて、そもそも恥と自己愛がどのように関連したテーマなのかについて、改めて書いてみたい。
そもそもどうして「恥と自己愛」なのか?

ところでなぜ自己愛のテーマと恥とは結びつくのだろうか? 両者はいわば正反対なものとも考えられよう。自己愛とは自分を外に示したい、認められたいという願望に根ざす。他方の恥は、他人から見られることを避け、人前から身を引くという傾向に結びついているだろう。
 私のこのテーマに関するモノグラフ「恥と自己愛の精神分析」は1997年の出版であるが、この本を書く最初のきっかけは恥の体験についての関心である。私は医師になりたての頃から、いわゆる対人恐怖の心性に興味を持っていた。自分の中にそれを強く感じていたからだ。私が1980年代の半ばに渡仏や渡米をした時、海の向こうの精神科医たちに手土産代わりに何か伝えられることがあるとしたら、それは対人恐怖についての日本における研究であろうと思っていた。その頃は、対人恐怖は、日本に特有の病理と考えられていた時代である。内沼幸雄氏の「対人恐怖の人間学」は私にとってのバイブルであった。
 ただし確かに恥の感情は、他方に少なからずある自己表現の願望との関係でのみ十分に理解することができたのである。自己表現の願望があるからこそ、それを真っ向から阻止してくる恥をかくことへの恐れがこれほど大きな関心事となっていたのだ。内沼博士の所論にも人間の「強力性」と「無力性」の相克が生き生きと描かれていた。
高校生のころ、サッチ(あだ名、仮名)というクラスメートがいた。私はどれだけ彼をうらやましい、と思ったことか・・・・。彼は私が欲しいものをたくさん持っていた。スポーツは万能。勉強もよくできた。しかし特に人前で物怖じしない態度が素晴らしかった。彼と私はフォークソング部なるものに所属し、サッチのボーカルに合わせてギターを弾いたりなどしていた。彼はよく通る声もしていた。高校2年の文化祭で体育館で何かの催しがあり、司会者が客席からボランティアを募ったことがあった。舞台に上がってちょっとセリフを言うだけの簡単なものだったと思う。私はそんなところに出ていくようなタイプでは全くないが、ちょっと興味を感じたことを覚えている。しかし手を挙げることなど考えられない。私はシャイだったのである。するとサッチが後ろの客席から立ち上がり、「ハーイ!」と声を上げながら、ステージの方に走っていくではないか!その姿の無邪気で恐れ知らずな雄姿は、40年以上たっても目に焼き付いている。
どうしたらサッチのようになれるのか? 否、私はどうして彼のようになれないのか。彼と私はどうして違うのか、などと思い続けた青春時代だった。しかしこう書いてみると、恥と自己愛に関する私の関心の原点は、まさにここら辺にあったことがわかる。それは、私が羞恥心が旺盛だった、という一事にはとどまらない。は悔しかったのである。羨ましかったのである。他方には自己を表したいという願望があるからこそ、私はそれを阻む羞恥の問題について考えざるを得なくなった。私が自己主張をしたい、人に存在を認められたいという願望を持たなければ、私は自分の羞恥を自覚することもなかったのである。羞恥と、自己表現の願望とのただならぬ緊張関係がそこにあり、それはすでに諸家により論じられてきているのだ。
ここで自己を表したい、認められたい、という願望を「自己愛」と呼ぶことができるとしたら、私は恥と自己愛のただならぬ関係をこのころすでに生身で体験したことになる。「恥と自己愛」というテーマにはすでに高校時代には逢着していたということになるかもしれない。しかし私の中で恥と自己愛のテーマが結びついたのは、それから十数年後の米国留学中であった。
米国では成立していた自己愛と恥の連結

 アメリカで恥に関する精神分析の書籍が目白押しに出版されだしたのが1980年代である。アンドリュー・モリソンの「恥―自己愛の裏面 Shame Underside of Narcissism」 という本は特に私にとっては非常にインパクトが大きかった。彼の主張は、そもそも「コフートの自己愛の理論は、恥に関する論考である(コフート自身はそう言っていないが)」「恥とは自己愛の傷つきのことである」という、とても明確なものだった。そのころ私は十分にコフート理論に興味を覚えていたし、それと私が以前から関心を抱いていた恥の議論と結びつきについても非常に興味深かった。このあたりから、私の中では恥と自己愛の問題は互いに関連したテーマとして扱われるようになった。そして恥について自己愛との関連から論考を発表することも多くなった。精神分析においてはモリソンらによって、「恥 ―(コフート理論)- 自己愛」という路線が既に引かれていたからというのがその理由の一つだ。
さて私はこの恥と自己愛のテーマの連結については、おおむね問題ではないであろうが、それは単純化しすぎているというような反論があり得るとも思う。自己愛を、自分は「優れている、イケている」と感じることだとすると、それがが崩れた時にのみ恥が体験されるとは限らないだろう。「恥は自己愛の傷つきか?それだけか?」と問われるとちょっと難しい。恥は自己を不甲斐ないと思う気持ちだ。恥ずかしい、情けないと感じ、穴があったら入りたいという体験である。私はそのような気持ちが体験されるのは、むしろ私たちが自然にもつ願望、自己の存在やその主張を認められたいという願望が絶たれた際であると思う。自分は優れていると感じる必要はない、とにかく一人の人間としてその存在を認められたい、という気持ちはだれにでもあるものだ。それを「健全な自己愛」と呼ぶのであれば、それの破綻こそが恥の体験であるという意味では、モリソンらの考える図式は妥当であろう。
 この健康な意味での自己愛を守る気持ちが強い場合、つまり自らが「普通でありたい」「もう恥をかきたくない」という願望が強ければ強いほど、それがうまくいかなかった場合の恥の感覚も強いということが言えるであろう。その意味では恥の感情は、それを克服しようという気持ちに比例するというところがある。私はサッチのようになりたいと強烈に願った。だからなれなかった自分を強烈に恥じたのである。
この「健全な自己愛」ということを恥との関連で考えた場合、森田正馬が唱えた、対人恐怖のとらえ方なども同じような概念化に入ってくると言えよう。森田に特有の「負けず嫌いの意地っ張り根性」という概念化やそれを踏襲した内沼幸雄先生の「強力性と無力性の葛藤」という考え(ドイツ精神医学、特にクラーゲス、クレッチマー、カレン・ホーナイなどなど)のとらえ方もある意味では自己愛のことを論じていたと理解できるのである。

Klages, L: Die Grundlagen der Charakterkunde, 1928. 邦訳:赤田豊治訳、『性格学の基礎』、うぶすな書院、1992 (ISBN 4900470058)