2014年10月21日火曜日

脳科学と精神分析(推敲)(10)


実は意識的な心の持つ自発性というものが幻であり、人の行動については「無意識がサイコロを振っている」という考え方は、たとえばベンジャミン・リベの実験などにより示唆されている。「脳から見える心」にも書いたことだが、彼の実験は人が指を動かそうと思った瞬間の0.5秒前に、脳波の動きが見られることを発見したのだ。つまりどの瞬間に指を動かすかは、無意識がサイコロを振り、「動かせ」の目が出たときに指が動き始め、意識はそれを後追いして、自分が自発的に動かしたと勘違いしたのである。
私はこのリベの実験から、人間が実はロボットのような存在で、たまたま自分は意識や自立性を有していると勘違いしている、と主張するつもりはない。ただ私たちが意図的、自律的に行動していると持っている部分の非常に多くの部分が、無意識のサイコロ振りにゆだねられていることも確かであろうと思う。たとえば昼食をカレーにしようか、ハヤシにしようかと迷っているとき、私たちはたいてい無意識にサイコロを振らせているのではないか?あるいは「絶対ハヤシ!」と思う人でも、むしろそれは頭が最初から命じているのではないか?こんなショーもない例で申し訳ないが、私たちが本当に意図的に決めていることは少なく、また意図的に決めていることも、生理的にすでに判断が下されているということはないだろうか。

ここで私はこれ以上、意識が決めているのか、無意識が決めているのかについての議論を展開するつもりはない。(というより私の中では答えはすでに出ているのだが。)そうではなくて、私たちが自分たちの発言や行動の根拠を探り、理由づけをすることの意味が、フロイトの時代に比べてはるかに少なくなっているということを言いたいのだ。私たちの発想、決断、行動のかなりの部分が無意識から降ってくる以上、それを理性的に分析することには実は大きな無理が伴う。脳科学的に言えば、それは右脳の行動に左脳が理由づけをするという行為となる。