2014年9月26日金曜日

治療者の自己開示(11)

相変わらずこの分類について論じている。

広義の自己開示の分類

A積極的な自己開示 
     (1.問いに答えたもの、2.問わず語り)


B消極的な自己開示
   (1.意識化されているもの、2.無意識的なもの)

そうだ、ここで自己開示A1の治療的要素と非治療的要素。A2のそれ、という風に記述してみよう。思いつくままだ。
A1 治療的な要素:治療者が普通の人間であるという自覚が患者に生まれる。治療者が治療原則から離れて自分自身を開示したことへの感謝の念が生まれる。治療者の行動や考え方のモデリングが可能となる。治療者からの情報提供を得ることができ、それを用いることができる。
A1の非治療的な要素:治療者に自己開示についてのゴーサインを送ることによる様々な要素(A2の非治療的な要素と同じ内容。)患者の側の要求を満たすことによる退行や過度の期待
の誘発となりかねない。治療者のことを知りたくないという患者の欲求が無視される可能性。更には治療者の「自分のようにせよ」というメッセージとして患者に受け取られかねない。

A2の治療的要素:A1のそれと同様。
A2の非治療的要素:治療者の自己愛的な自己表現の発露となりかねない。患者の自己表現の機会がそれだけ奪われること。治療者のことを知りたくないという患者の欲求が無視される可能性(A1の非治療的な要素と同様)。更には治療者の「自分のようにせよ」というメッセージとして患者に受け取られかねない。(問わず語りであるためにA1の非治療的な要素よりも深刻となる)
この最後の例はわかりにくいかもしれない。一つ考えた。
A1の例
患者:先生はご自身の教育分析の際に、時間に遅れることはありましたか?
治療者:私自身の体験についてのご質問ですね。はい、私は分析家に失礼にあたるので、決して遅刻したことはありませんでした。
これは治療者から患者への「私との分析の時間に遅れることは失礼ですよ」というメッセージになりかねない、というかほとんどそうであろう。
A2の例
治療者:(特に患者から質問を受けたというわけではなく)ちなみに私は自分の分析には決して遅れませんでした。遅刻することは私の分析家に対して失礼だからです。
この場合、治療者が特に問われることなくこの自己開示を行ったことは、「あなたも遅刻してはいけませんよ」という警告としてのニュアンスを一層強くする、というわけである。どうだろうか。