2014年8月17日日曜日

エナクトメントと解離 推敲 (3)

「解離の対人化」としてのエナクトメント

本論文でスターンが示しているのが、解離の対人化 interpersonalization という概念である。これはどういうことだろうか? ある人が、ある心の問題Bを解離しているとする。このBが具体的な他者との関係の中で行動に表されたものがエナクトメントというわけである。ここで「心の問題」などと言わず、「葛藤」と呼べばわかりやすいのかもしれないが、そう呼ぶことはできない。「葛藤」だとすると、主体はABという二つの心の在り方の間のせめぎあいを意識的に体験することになる。それができないことが解離だからだ。

そしてスターンは次のような理屈が成り立つという。「患者により解離された部分は、他者(治療者)に体験される。そして患者の中で明白に体験されたものは、治療者の中で解離される。つまり両者はお互いに部分的にしか体験されていないのである。」
スターンは、この図式を、分析家フィリップ・ブロンバーグ Phillip Bromberg に由来するものとする。ブロムバーグは最近解離という文脈から分析理論を洗いなおしているアメリカの分析家である。
スプリッティング、解離といった議論を縦横無尽に用いて議論しているという。


スターンの説明をもう少し紹介しよう。エナクトメントは内的な葛藤の表現ではない、という。エナクトメントは葛藤の欠如を表している。エナクトメントが生じたときは、むしろ外的な葛藤が強烈になる。そしてエナクトメントが解決するのは、内的な葛藤が成立した時である。それは互いに解離され、二人の人間により担当された二つの心の部分が二人のうちどちらかに内的な葛藤として収まった時に終わるのだという。
 同様の議論を提唱している人として、ジョーディー・デイビスという分析家があげられる。彼女は以前から外傷関連の議論を扱っているが、彼女の説は、患者の中で解離している体験はエナクトメントして出現し、それを唯一扱うことができるのは、転移―逆転移関係の分析であるという。そしてそれは、フォナギーたちの研究との共通点がある。例のメンタライゼーションの議論でおなじみの、イギリスの分析家ピーター・フォナギー先生だが、彼もエナクトメント、
スプリッティング、解離といった議論を縦横無尽に用いて議論しているという。