2014年7月25日金曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)22

ただしこのようなことは言えないだろうか?自分は不満を表現した文章を書いた。これを相手に送ることで、すぐにでもその気持ちを伝えることが出来る、という認識。もちろんそれを送付しなければ意味はないが、それを外に出したことで、それに形を与え、客観的にみることが出来るようになったとは言えないだろうか。そしてそれはある意味では、記憶の再編という形をとったのである。ただしもちろんこの手紙を書くという手段が全く意味を持たない人も大勢いるであろうが。
しかしこうなると、記憶の再編はだれにとってどのような形をとるのが理想なのかは、かなり複雑ではっきり言ってランダムすぎることになるな。はっきり言ってマニュアル化できない世界。そういう世界での議論をしていることになるのだ。

再固定化とデブリーフィングの問題

この記憶の再編や再固定化のテーマとの関連で考えるべき問題がある。それは記憶の不安定化の状態が、その記憶の形成された時期との関係で大きく異なるであろうということだ。簡単に言えば、「トラウマの直後の記憶は、取扱注意!」ということになる。
 トラウマに関する治療が様々な形で行われる中で一つ浮かび上がったのが、デブリーフィングの問題だ。デブリーフィングとは、災害なので多くの人がトラウマを体験した際、被災者がなるべく早期にグループを持ち、トラウマの体験を言葉で分かち合うという試みである。ジェフ・ミッチェルという人により考案され、CISD (critical incident stress debriefing) と名づけられ、一時期盛んに試みられた。しかしそれが必ずしもPTSDの発症を減らすということはなく、かえって逆効果にもなりうることがわかった。現在ではトラウマが生じた際の介入には一定の時間の経過が必要であるということが常識になっている。(詳しくは日本トラウマティックストレス学会のHPを参照を参照されたい。)
 
ミッチェルの提唱したいわゆる「CISD」は、もちろんそれが善意のもとに実践されたわけであるが、その有害性が多く指摘されることとなったために、種々のガイドラインがそれを踏まえた記載の仕方をしている。米国の国立PTSDセンターが編集した「Psychological First Aide (PFA)」というガイドラインを見てみよう。これは「兵庫県こころのケアセンター」のスタッフが日本語に訳していて、ネットでも簡単に入手できる。http://www.j-hits.org/psychological/pdf/pfa_complete.pdf
これを読むと随所に被災者の「話を聞きすぎてはいけない」という注意事項が記載されている。つまり心のケアに出向いた人たちが行ないがちな「トラウマについて詳しく語ってもらう」というCISD的な発想への警鐘となっている。たとえば3ページ目の「避けるべき態度 Some Behaviors to Avoid」には7つの項目が挙げられているが、第5、第6項目(私が下線を付け加えてある)はそれに相当する。
1.被災者が体験したことや、いま体験していることを、思いこみで決めつけないでください。
2.災害にあった人すべてがトラウマを受けるとは考えないでください。
3.病理化しないでください。災害に遭った人々が経験したことを考慮すれば、ほとんどの急性反応は了解可能で、予想範囲内のものです。反応を「症状」と呼ばないでください。また、「診断」「病気」「病理」「障害」などの観点から話をしないでください。
4.被災者を弱者とみなし、恩着せがましい態度をとらないでください。あるいはかれらの孤立無援や弱さ、失敗、障害に焦点をあてないでください。それよりも、災害の最中に困っている人を助けるのに役立った行動や、現在他の人に貢献している行動に焦点をあててください。
5.すべての被災者が話をしたがっている、あるいは話をする必要があると考えないでください。しばしば、サポーティブで穏やかな態度でただそばにいることが、人々に安心感を与え、自分で対処できるという感覚を高めます。
6.何があったか尋ねて、詳細を語らせないでください。
7.憶測しないでください。あるいは不正確な情報を提供しないでください。被災者の質問に答えられないときには、事実から学ぶ姿勢で最善を尽くしてください。

さらに「情報を集める」(30ページ~)には、次のような二つの注意事項が織り込まれている。これも同様の趣旨と考えていいだろう。ここも注目していただきたい分について私が下線を施してある。
注意事項:災害でのトラウマ体験に関する情報を明確にしていくときに、詳細な描写を求めることは避けてください。(注:下線岡野)さらに苦痛を与えてしまう可能性があります。起こったことについて話しあうときには、被災者のペースで話を進めてください。トラウマや喪失の体験を詳しく話すよう、圧力をかけてはいけません。逆に、被災者が自らの体験について語りたがることもあります。そのようなときには、いまいちばん役に立つのは、あなたの現在のニーズを知り、今後のケアの計画をたてるのに必要な必要最小限の情報を得ることなのだということを、丁寧に、敬意をもって伝えてください。今後、もっと適切な場で体験を語る機会を設けられることを伝えましょう。
注意事項:次の項目で触れることですが、薬物使用に関する既往、過去のトラウマや喪失、精神的な問題を明らかにしていくときには、まず被災者の現在のニーズに敏感でなくてはなりません。必要もないのに過去のことを尋ねたり、詳細な描写を求めたりすることは避けてください。(注:下線岡野)なぜそれを尋ねるのか、理由を明確に述べましょう。たとえば、「こうした出来事は、以前あった嫌なことを思い出させることがあるのですが」とか、「ストレスに対処するためにアルコールを使う人は、こういう出来事のあとには酒量が増えることがあるので」というように前置きしてください。

このPFAに繰り返しでてくるのが、私が上に示した下線部分に示される次の表現である。
「詳細な描写を求めることは避けてください。」 
 なぜトラウマはそれが生じた直後にはむしろそれについて話すことが害になる可能性があるのだろうか? それはおそらく記憶の再編が、その記憶が形成されて直後とそれからしばらくたった後では大きく異なるからであろう。ここで思い切った仮説を設けるならば、あるトラウマ記憶は、直後にそれが語られることでそれの刻印のされ方をより顕著なものにする。例のレコードの比喩を用いるならば、レコード盤に最初の曲が刻印された際、それをすぐに再生するとそれが、さらに深い凹凸により刻印される傾向にあると考えるべきであろう。