2014年6月25日水曜日

解離の治療論 (69)

 「勝ちたいという気持ちが足りない」と、あるサポーターは言ったという。???? それはまったくの結果論。日本選手は体格のハンディを超えて全力をつくしだだけ。でもプロなら「優勝をするぞ」とも言うべきでなかったとも思う。奇跡を信じていない限りね。「ベストを尽くす」と言い、負けても胸を張って帰ってくればいいし、ファンもそれを温かく迎えるべきだろう。

ということでこの論文。(Kelly A. ForrestToward an Etiology of Dissociative Identity Disorder: A Neurodevelopmental Approach Consciousness and CognitionVolume 10, Issue 3, September 2001, Pages 259–293)フォレスト先生は、現在のところ、解離に関してもっとも有効な理論は、昨日紹介したパットナム先生の離散的行動モデルであるという。(やっぱりそうか。)そもそも子供の心はこの離散的な状態にあり、そこから統合していくことが出来なかったのが、解離状態であるという。(ちなみにこの「離散」という言葉、引っかかるだろう。discrete という英語の訳だが、「連続」ではないという意味だ。ちなみにdiscrete には「慎重な」というような意味もあるぞ。関係ないか。またこの言葉は数学に使われると、整数のように、飛び飛びにあるようなものだ。) 私たちの体験は状況により大きく異なり、それを結びつけ、統合していくことでつながりを持った体験を、そして「自分」を成立させていく。この理論はすばらしいのだが、それを支える、というか背景になる生物学的なメカニズムは説明されていないという問題がある、とフォレスト先生は言う。
ところで私の好きな前頭葉の話に入っていく。Wheeler, Struss,Tulving 3人は、前頭葉は特殊な種類の意識を形成する、とした。名づけてautonoetic consciousness. オートノエティックな意識。何だコリャ。フッサールのノエシス、ノエマ、とか言う概念があったな。これは「過去と現在と未来の主観的な体験を思い浮かべ、それを意識化すること」だそうな。つまり時間的な存在としての自分を意識するということだろう。(ちなみにいま、このautonoetic consciousness というタームを、駄目もとでぐぐったら、あったぞ。「想起意識」という日本語を当てはめた論文がある。すごいな。)そしてフォレスト先生は、DIDとはまさにこの想起意識が断片化された状態、と考えると前頭葉機能に問題があると推測されるのだという。
うーん、そんな気もしてくるが、待てよ。解離って擬死反射のように、下等動物でも見られるとすると、前頭葉がほとんどない動物の解離をどう説明するんだろう、などといろいろ疑問がわいてくる。もう少し読み進めてみるか。