2014年5月29日木曜日

解離の治療論 (43)欧米における解離の治療論(17)

今日は夏みたいな日だ。まだ5月なのに。

ところで私は欧米のテクストを見ていると、何か綺麗事ばかり書いているような印象を持つのだ。大体上にかいたような治療を受ける人が実際どれだけいるのだろうか? ここからは前回書いたことの繰り返しであるが、私はアメリカの患者たちの多くがいかに金銭的に困っているかをよくわかっている。彼らの財布には23ドルしか入っていないというのはざらなのである。トラウマを負った人の多くは仕事がなく、健康保険にも入っていない。それでどうやって週二回、数年間の治療費が賄えるというのだろうか?それにたとえ保険に入っていても、精神療法に通えるのは一年に15回まで、などと制限が加えられてしまう。低所得者は高い保険の掛け金が払えないので、メディケイドという国の提供する保険に入るのだが、それで提供できる精神療法は質量とともに非常に限られたものになるのだ。私はメディケア、メディケイドの人たちばかりを対象にした地域の精神衛生センターで仕事をしていたが、そこでの経験からすると、このガイドラインに書かれているような治療など、いったい何人に一人が受けることが出来るのか、と思ってしまう・・・・・。
まあそれはともかく・・・・。外来の治療としては、特にやり方を定めるというよりは、折衷的 eclectic であるという言い方をこのガイドラインではしている。目標が達成できれば、認知療法的でも、力動的でもかまわないと言うことなのであろう。催眠についても用いることは有効であるが、主として沈静化、宥めること、自我の強化、と言った目的で行なわれると書かれている。EMDRなども必要に応じて用いればいい、と。そこで
治療の様式
 なお以上の記述は主として外来における個人療法を念頭に書かれたが、治療の様式には様々なものがある。それは精神分析的な傾向を持ったものであったり、認知行動療法的なオリエンテーションの中で行われることもある。さらにはグループ療法や家族療法の形もありうる。EMDRや催眠を積極的に取り入れる場合もあるだろう。現実の解離の治療はそれらの様々な治療様式を折衷的に取り入れたものであることが多く、一概にそれらの優劣を決めることはできない。なお入院形式の治療に関しては、稿を改めて論じなくてはならないほどに多くの論点があるが、現在の日本での精神科入院治療を考えると、ほとんどの治療施設において解離の問題は扱われないか、あるいは危機介入的な意味合いしか持たないかというのが現状である。

何か、書いてみると当たり前の話だな。