2014年4月6日日曜日

続・解離の治療論(23)


 もちろんこのMさんのようなケースを考えたからといって、黒幕人格には手を触れるべきではない、という議論にはならない。Mさんが相手を半殺しの目に遭わせたのは、おそらく黒幕人格が出現していたときであろうが、私がその人格に決して出てほしくない主要な理由は、その人格が行動かを起こした際に誰にも歯止めが利かないからである。しかしMさんがたまたま身体的にひ弱でかつ私が実際よりはるかに腕力が強く、しかも病棟の保護室などの安全性が確保できる場所で黒幕人格に変わった場合は、事情はずいぶん違うであろう。
私はこれまでに二度だけ、患者さんに暴力を振るわれたことがあるが、そのうち一回はある女性の解離の患者さんからであった。彼女が黒幕人格に代わった際に組み伏せられそうになったわけだが、いざとなったら相手を力で凌駕できる自身があったために、それがトラウマとはならなかった。私の不用意な一言がいけなかったのであるし、むしろ治療にたまたま肉体労働が伴ってしまったというのが実感であった。しかし私より非力な女性のセラピストが同じ目にあったとしたら、話はまったく違うであろう。多くの女性のセラピストは、男性で自分より力が強そうな患者に対してかなり恐れを抱くことになるだろう。
 このように考えると黒幕人格を有する多くの解離の患者さんを扱う治療者にとって、その治療構造や治療設定がいかに重要かがわかる。問題は「交代人格は扱わないようにしよう」というだけの話ではない。そこに伴う治療者の防衛的な姿勢が問題となるのである。それを可能な限り少なくするような治療設定が必要となるのだ。そしてそれは常に提供できるとは限らない。
 私は力強い男性の患者さんが訪れた場合、「黒幕さんが聞いていて出てきては困る」と常に思い、それもあって彼にとって失礼のないような言葉を使うようにしている。しかしこれは黒幕人格への敬意と、迎合がない交ぜになった態度である。患者に対する恐れや迎合は治療的役割をある程度制限していることは確かであろうと思う。(ただし無論このような治療者の限界は、それ以外の文脈でも時には気がつかない形で存在しているのもわかっている。)