2014年4月5日土曜日

続・解離の治療論(22)


 これは精神分析でいう内在化の機制にさまざまな問題を提起しているといえる。内在化といっても、外にいる誰かのイメージがそのまま内側に取り込まれるというわけではないというわけである。例えば親のイメージが内在化される、という話はよく出てくる。それが超自我を形成するというわけだ。はじめは「そんなことをしてはだめだよ」という親の直接の言葉を聞いていた子供が、そのうちそういっている親のイメージを思い出して、身を律するようになる。そのうち自分の中に「おい、俺、(なんか、そんなコマーシャルがあったなあ。)そんなことをしてはいけないよ。」という超自我が生まれる。これが分析的な内在化のプロセスであるが、実はこれほど簡単なことではないことを、解離のケースが教えてくれる。つまり内在化する側が、はじめは外に存在していた人物をかなり勝手に加工する。時にはまったく別の人に作り変えてしまう可能性がある。
精神分析的な概念としての「悪い対象」と黒幕さんとの違いは、黒幕さんは今現在活動し、独自の意思を有しているということだろうか。つまり意志を持ち、現在も「生きて」いるのである。そしてその存在が現在の主人格に様々なかかわりを持ってくる。

黒幕人格は扱えない?

 さて黒幕人格は、おそらくトラウマの最深層と関係している可能性があることはすでに示唆した。ある意味ではそのDIDの方の持つ病理の核心部分と言ってもいい。しかし黒幕を直接扱うことのメリットは不明である。というよりおそらく事実上扱えない。

米国にいた時、患者の中に元プロレスラーのDIDの方Mさんがいた。(この話は絶対どこかに書いたと思うのだが思い出せない。このブログで検索しても出てこない。)雲を突くような大男だが幼少時に深刻な性的虐待を体験している。Mさんは二度ほど黒幕人格が出現したという。一度は車の運転をしていて、ふとした事故から助手席にいた自分の妻に危害が及びかけた時。向こう側の運転手を引きずり出して半殺しにしたというが、もちろん彼は覚えていない。もう一度は、プロレスの試合中に相手がかなり悪質な反則行為をしたらしい。その時も相手を半殺しにしたという。しかし普段はこれほどやさしい男が居るのか、と思うほど繊細な男性であった。私とMさんはとてもうまく行っていたが、それでも一対一の診察の時に、深刻な話は出来ないな、とふと不安になったことを覚えている。