2014年4月1日火曜日

続・解離の治療論(18)

この春は引越しやら転勤やらで忙しい。でもブログをアップするくらいの余裕はある。昨日は一日「インターチャイルド」に出会うというワークショップに出た。子供時代の自分を目の前に想像することは、たとえば自分の子供が小さいころを想像するよりはるかに難しい。少なくとも私にとっては。自分である、ということは結局自分を外から見ていないことでもあるからだ。


主人格が子供の人格とコミュニケーションを持つこと

 子供人格を含めた治療方針は、一言でいえば、主人格が遊び心を発揮でき、子供人格に代わって遊ぶことで、子供人格が安心して休みに入ることができるということであろう。患者の人生を長期的に見た場合、生活の一部で子供人格が出現し、周囲を当惑させ、大人の人格の生活が一時休止してしまい、またその間の記憶をなくすという事態が続くとしたら、とても望ましいとは言えない。できればそれを回避したいと思うのは、いわば当然のことであろう。
誤解を招きかねない表現で恐縮だが、子供人格は、いわば「浮ばれない魂」である。自分の存在を認められたり、その願望を満たされたりすることを待っている。十分に供養することで、つまりある程度の満足が行くまで関わることで休みにつく。もちろん供養されないでいても年齢とともに休みにつく場合も多いのであろう。しかしそのような人は心の地層にある種の歪みや活断層を抱えたままになる。
この活断層という表現は、英国の分析家マイケル・バリントが用いた比喩をヒントにしている。バリントは「基底欠損」という本を書いたが、その中で basic fault という表現を用いつつ、患者が幼少時に体験した一種の養育上の問題、ある種のトラウマについて語っている。これが翻訳をなさった中井久夫先生により「規定欠損」と訳されたわけだが、敢えてfault を訳し直すなら、「欠損」というよりは「過ち」、「問題」、「起きるべきではなかったこと」というニュアンスがある。これは地質学的には、ある結晶構造が出来上がる際に、鉱物の分子の配列に異常が生じた結果、そこにある種の傷を負ったままで全体の鉱物が成長したというニュアンスを上手く表現している。
そもそも鉱物の結晶とは、分子が規則正しく並んで成長していくことでできるが、一部に不規則な部分があると、そこから別の結晶が成長し、いわばいくつかの結晶の繋ぎあわせとなる。それを鉱物学では多結晶質 polycrystallineというそうな。ネットで拾った絵を載せよう。

この図の一番うえがきちんとした結晶で、一番下が、ガラスのような、結晶を形成しない物質だとすると、多結晶質とはその中間にあるようなものだ。ここで分子が揃っていない部分がbasic fault というわけである。 
すると下に示すゲルマニウムの結晶のように、いくつかの結晶がつながった形になり、当然ながら接合部の強度が弱くなる。外からのストレスでそこから割れやすくなるのだ。あれ、ナンの話をしていたっけ?