2014年3月8日土曜日

恥と自己愛トラウマ(推敲)(9)

第2章 アスペルガー障害の怒りと「自己愛トラウマ」
はあまり付け加えることはないが、最後に次の部分を書き足した。


アスペルガー障害における「自己愛トラウマ」を扱う事の難しさは、やはり彼らのトラウマの体験の仕方自体が周囲から理解しにくく、また予想がつきにくいということにある。彼らのトラウマの加害者は曖昧であったり不在であることが多いのだ。本章で紹介した「浅草通り魔殺人」の場合には、犯人の「自己愛トラウマ」の「加害者」の女性は最大の被害者なのである。何しろ付きまとわれた男性に対して恐怖の表情を示したというごく自然な反応を見せただけなのだから。

ただし私が最後に付け加えたいのは、以上述べたことはアスペルガー障害を有する人々一般に当てはまるわけではないということである。アスペルガー障害を持つ人々がより高い犯罪傾向や加害性を持つということはない。彼らの大部分は社会に害を及ぼすことのない良き市民である。ただしこの事件に関与したような一部のアスペルガー障害を持つ人に関して、この理解しにくい「自己愛トラウマ」を体験し、それが他者に対する加害行為に発展するという事実を私は述べているだけである。
 これは次の章「凶悪犯罪と自己愛トラウマ」でも述べることであるが、「自己愛トラウマ」を負った人々が少しでも救いの手を差し伸べられることで、致命的な加害行為を防止できる可能性がある。そしてそのためにもこのアスペルガー障害における自己愛トラウマの実態を理解することが最初のステップと言えるのである。