2014年3月26日水曜日

続・解離の治療論(12)

さてこのような形で定着した子供の人格は、その後どのような運命をたどるのであろうか? それはケースバイケースのようである。通常は一定の期間頻繁に出現したあと、徐々にその頻度が下がっていく。それはあたかも子供の人格それ自身が本来のライフコースを持っているようである。その一定の期間のあいだに、おそらく子供の人格は自己主張をし、ある程度は望みを叶えてもらって満足し、その出現の根拠を少しずつ失っていく。ただしここでライフコースと断っていることは、子どもが満足体験を持つ事が、それが消えるために必然的というわけでもないことを意味している。あたかもうつ状態が多くは自然に改善していくように、一時は頻繁に起きる解離はやがておさまって行く傾向にあるようである。特に子どもの人格が、患者が若い頃に、それも比較的急激に出現するようになった場合には、それだけライフコースも短いという印象を受ける。ただしストレスやトラウマが日常的に体験されている場合を除いてである(後述)。
 もちろんそのライフコースの期間に周囲がどのように接するかにより、その出現の仕方は異なる。より受容的で優しいパートナーとの間には、それだけ頻繁に出現するであろう。また精神療法家がプレイセラピーのセッションを持つとしたら、そのセッションは「毎週子供が遊びに来る」という形になる可能性が高い。しかしそれが永遠に続くことはなく、徐々に子供の人格は出なくなっていくであろう。
 子どもの人格の出現を、それが本来持っているライフコースが終わったと考える以外にも、幾つかの別の理由が存在する。単純なケースでは、遊びばかりのセッションは、主人格そのものにより忌避される場合があり、もう一つには以下に述べるような「子供人格の成長」という問題があろう。

そのような幾つかのケースを紹介したい。
ケース1
20代後半、独身女性。2年前より恋人と同居を始めてから、子供の人格が頻繁に出現するようになる。同居者はある程度遊びに付き合うが、仕事で疲れている時にはあまり相手をしてくれない。カウンセリングが開始されたが、ヌイグルミがたくさん置かれたプレイルームに通されると、その雰囲気に触発されて、毎回患者の子供人格が出るようになった。子供人格はセッションの時間中、夢中で遊び、そのまま同居者に守られて帰るということが繰り返された。数週間経つと、患者は「もうセッションには行きたくありません」というようになった。「毎回行く途中のことまでしか覚えていないし、セッションのことは何も覚えていません。これでは何のためのセッションかわかりません。」ということだった。その後患者の主人格を対象としたセッションを持とうと試みたが、主人格自身はあまり継続的な通院に興味を示さず、しばらく後にドロップアウトとなった。