2013年11月27日水曜日

小此木先生の思い出(5)


昨日も少し書いたが、私の話は、人間が変わることとはどういうことか、に関するものだった。治癒機序、とは結局そういうことだ。そして従来の精神分析が、それは例えば「転移解釈」であると主張したのに対して、「『現実』との遭遇である」と主張したのである。ここでこのカッコつきの「現実」とは何か、というのは悩ましいが、簡単に言えば主観的に体験された現実ということである。現実といえば自分の外にあり、容易には到達しえないものである。カントの「もの自体」、というような。ラカンの「現実界 le Réel だってそんな感じだと私は理解している。

 分析的な解釈、それも特に転移解釈、つまり治療者と患者の間で起きていることの背後にある無意識の理解を伝えることにより患者は変わっていく、というのは精神分析の王道と言っていい考え方だ。それに比べて患者を変えるのは「現実」だ、というのは、何か分析とは全然関係ないことをいきなり言いだしたという印象を与えるだろう。でも精神分析理論をいったん離れて、「人が変わるってどういうことだろう?」ということを体験的に考えなおして、それを分析的な理論との関係に戻って論じ直すというのが私のスタイルである。

以下略