2013年10月17日木曜日

欧米の解離治療は進んでいるのか?(8)

台風一過、気持ちいい朝、と思ったらもう次の台風が発生だって?もう勘弁してよ。

この後ガイドラインは、段階ごとの治療論に入って行くので、それを読んでからでもいいのであるが、一言述べておこう。少なくともここまでで描かれている解離性障害の治療論はかなり楽観的で、非現実的でもあるように思う。このガイドラインの最初の部分にでも、例えば「自然治癒的なプロセス」についての言及がなされているべきであろう。さもなくばこのガイドラインを読んだものは非常に混乱するのではないか?そして次のような幻想を抱くのである。「正しい治療を受けないDIDは決して治癒することがない。」でも実態はそうではないように思う。DIDはおそらくもっと自然で、非病理的な形で存在し、その大部分は治療(の必要性)とは無縁なのだ。
DIDの自然治癒の問題

これは脱線の中での章立てである。精神科の患者の2から5%の患者に見られるというDID.私はおそらく全人口の1%ほどは潜在的にDIDを持っているように思う。そして顕在化するのはその10分の一?もっと多い気がする。高校の一学年は、数百人程度か?その女生徒のうち一人、二人はいてもおかしくない。しかしその大部分がそうと同定されることなく終わってしまう。DIDとして同定されるのは圧倒的に10代後半から20代である。50代になって顕在化する解離性障害などは、遁走を除いてあまりない。ということはおそらくDIDのかなりの部分は自然経過の中で「消えて」行くのであろう。そしてその典型的な消え方は決して統合ではない。ほとんどの交代人格は「お休み」になるのである。これをDIDの自然経過natural course と考えるところから出発しなければ、治療を論じることにはならないであろう。
 私は精神疾患の自然経過を考える時、古代人や戦国時代の人々のことを考える。当時の人々の中で不適応を起こしたり、何らかの症状のようなものを呈している人たちを現代社会に呼び寄せ、現代的な診断基準を当てはめたらどうなるのだろうか?もちろん精神疾患は社会や文化に大きな影響を受ける。しかしそれを透かしてある種の典型的な躁うつ病、統合失調症などを見出すことが出来るだろう。私はそこにおそらくDIDに相当する人もいたであろうし、PTSDの人もいたであろう。それらがすべて「治療」を受けずに経過していく。その結果彼らは昔の社会でどのように変化し、老い、死んでいったのだろうか?
しかし同様の自然経過は、精神医学がはるかに進歩した現在においても観察できる。うつ病のようなポピュラーな精神疾患でさえ、医療にかかわるのは氷山の一角と言われているのである。ましてや不全型のDIDがそうと同定されることの方がきわめて稀なことではないだろうか?