2013年10月16日水曜日

欧米の解離治療は進んでいるのか?(7)

さてガイドラインの治療論は佳境に入って行く。「望まれる治療の帰結は統合integration ないしは交代人格の間の調和 harmony である。統合や融合fusion などの用語は時には混乱を引き起こす。」 ん?どういう意味でだろう?「統合というのは広範囲の、長期にわたるプロセスで、解離的なプロセスのすべてに言及されることである。」「それに比べて融合というのは、ある一つの時点で二つ以上のアイデンティティが一緒になり、主観的な区別の感覚が失われることである。」ふーん、知らなかった。「最終的な融合final fusion とは最終的に統一された自己の感覚を持つことを言う。」「この両者の混乱を避けるために、一部の人々は統一unification という用語を提唱している。」もうここはどうでもいいや。
 「最も安定した治療の帰結は最終的な融合である。つまりは完全な統合、融合、そして分離の喪失である。しかし、・・・」と続く。「継続的なかなりの治療の後も、DIDの患者のかなりの部分が最終的な融合を達成できず、あるいは融合が望ましいとは言えない。」これが聞きたかった!しかしそれは私が望む形ではなかった。この後に「融合が達成できない理由」が続く。「慢性的で深刻なストレス、外傷的な記憶などの、人生の中でのきわめて苦痛な出来事を解決できないこと、治療を受けるための十分な経済的な背景を持たないこと、医学的な併存症を持っていること、高年齢化、継続して存在する精神科的な併存症、別人格やDIDそのものに対する顕著な自己愛的な思い入れ、その結果としてより現実な長期的な治療結果を考えるならば、協力的なアレンジメントを考えるべきであろう。」ん?この「協力的なアレンジメント」ってなんだ?「つまりアイデンティティたちの間で十分に統合されたりコーディネートされたりしている機能」ということだという。しかしこうも書いているぞ。「しかし最終的な融合に至っていずに協力的なアレンジメントにある人は、後の人生で十分なストレスに出会うと、明白なDIDPTSDに陥りやすいようである。」ここら辺は私は異論がたくさんあるが、もう一区切り訳してからそれを展開しよう。
 「最終的な融合に達した後も、患者が有する残りの解離的な思考や体験方法についての統合の作業がさらに必要となろう。治療者や患者はほかの人格に任されていたような能力を取り入れたり、自分の持つ新たな痛みの閾値を知ったり、バラバラになっていた年齢を、一つの時系列的な年齢にまとめたり、自分の年齢に会ったエクササイズや疲労のレベルを知ったり、ということである。そして統合された見方からトラウマやストレスに満ちた出来事を改めて見直さなくてはならない。」なーんだ。結局昔の統合主義とあまり変わらないではないか…・