2013年10月11日金曜日

欧米の解離治療は進んでいるのか?(2)

 さて次に少し気になることが書いてある。「DIDはもともと統合されている心に生じた問題ではない。正常な心の統合がうまく行かなかったことが原因だ。そしてそれは圧倒的な体験や、養育者との関係の障害(例えばニグレクトや、問いかけに応えてくれないなど)が幼少時の臨界期に生じたことによる。その結果として心にサブシステムが形成されたのだ。」
うーん、どうだろうか?私は結構反米的だが(アメリカで長年暮らしたのに)、反対のための反対はしないつもりである。でも気になることは多々ある。特に彼らの感受性は結構疑っているのだ。ということでこのDIDの成因についても彼らの感受性で臨床を行い、出てきた結論としてあまり頭から信用しないことにしている。

私は「心が統合されていないうちにトラウマが起きる」、という部分が納得しかねる。子供は小さいながらに統合された心を形成しつつある。ところが圧倒的な出来事が起きて意識が飛ぶ。その間心のもう一つの部分が心を代行するということが起きるのだろう。それが解離の始まりという気がする。問題はこのもう一つの部分の心が独自に人格を持つという傾向が、幼少時にしか典型的に起きないということだろう。幼少時には心が成熟していないから、というのではなく、幼少時には特殊な能力が備わっているから、と考えるべきだろうと私は思う。うん、ここは全然違うね。私の方が絶対正しいという保証はもちろんないけれど。
 もうちょっと説明しよう。圧倒的な出来事が起きた時、大人でも朦朧としてしまい、トランス状態になることがある。いわゆるperi-traumatic dissociation (トラウマ周辺の解離)、という状態だ。それを仮にB状態としよう。B状態はやがてフラッシュバックのように襲ってくることになるだろう。構造的解離理論がこれをEP(情緒的な人格部分)と呼んでいるのは私も知っているし、それはうまい考えだと思う。つまりフラッシュバックした時は、体験そのものがよみがえっているというよりは、人格状態が違うんだよ、と言う含みだ。PTSDを解離の範疇に飲み込むような概念である。
問題はB状態がどこまで精緻化されるかということだ。精緻化sophistication とは要するに、B状態が「顔なしさん」ではなく、目鼻が書き込まれ、名前まで備わっている状態になるということだ。