2013年9月8日日曜日

トラウマ記憶の科学(5)

EMDRという治療法をご存知の方がいるだろう。施術者が指を左右に動かし、患者はそれを追いながら、トラウマ記憶を思い浮かべる。うまく行ったりいかなかったりするが、うまく行くとそれまで自分を苦しめていた記憶が嘘のように苦痛でなくなる。施術者が指を動かして被験者がそれを目で追いつつ昔のトラウマを思い出しているという情景を想像しよう。確かに再活性化は起きている。そしてそこで何かが同時にプラスアルファで起きているのだろう。それが「ミスマッチ」ということになる。
 しかしそれにしても読者(ここまで読んでいる人がいるかどうかは甚だあやしいが)はこのミスマッチのことがよくわからないだろう。書いている本人(ワタシのことだ)もよくわかっていないからだ。ただこのように考えてほしい。科学者たちが「ミスマッチ」と表現されるような「あること」が起きて、それはおそらくEMDRの目の左右への移動というプロセスの中に起きていたのかもしれないし、そのあと目を閉じて大きく呼吸をするというプロセスにあったのかもしれない。EMDRを考えだしたときにシャピーロはミスマッチなどということは考えていなかったが、彼女の考えた施術の中に、何かの「ミスマッチ」的要素が偶然にもあったのであろう。あるいはそれがたまたま起きた時にEMDRは成功し、それが起きなかった時には失敗したということだろうか?
 このミスマッチとは、おそらくそれを体験する人にとって意外なもの、「あれ????」というような感動を起こすはずだ。というよりそれがない限りは再固定化は起きないことになる。するとトラウマの治療とはこのミスマッチ体験をどのように起させるかということになるのだ。それは過去の外傷を再体験するという試みの際にそれが治療へとつながるかどうかの分かれ道になったはずである。そしてこのミスマッチは時には偶然に、時には施術者の機転や臨床的な直観に基づいた声掛けその他により提供されていた可能性がある。