2013年9月2日月曜日

トラウマと解離(5)

ヨ●バ●カメラから葉書が来て「一万点のポイントが今月で無効になりますよ。早く使ってください。」とおっしゃる。秋葉原の本店へ。特に必要がないけれど外付けハードディスクを購入。小さいのになんと1.5テラバイト! 現代において確実に私たちが恩恵に浴しているもの。それは媒体の容量。私が1996年に買った最初のコンピューターのハードディスクは2ギガバイトだった。数年後手に入れた小型の外付けハードディスクが20ギガであることに感動したものだ。でも今は同じ大きさで1500ギガ。ジーン。
でもこれは私のような年代の人間にしか味わえない感動だろう。何しろ今の若者は、最初に買ったPCにすでに数百ギガのハードディスクがついているのだから。


解離性障害の治療における「寝た子は起こさない」
黒幕人格に対する対処の仕方は、私が解離性障害の治療の際に頻繁に用いる「寝た子は起こすな」という表現へと導く。寝た子、などというとDIDの人格の方々に失礼かもしれないが、このようないい方がわかりやすい場合が多い。解離性障害の場合、交代人格がその人の通常の生活にしばしば顔を出してそれが日常生活上の支障を来たすようでなければ、触れないでおくべきだという原則だ。これはトラウマの記憶ということにさかのぼって考えると納得がいくことだろう。トラウマの記憶がもう全くよみがえってくることはないにもかかわらず、「しかしあれは自分にとって非常に重大な出来事だったから」とそれを思い起こそうとするだろうか?
 ただしここで即座に「そんな必要はありません」とも言えない事情もある。実はここは微妙な問題なのだ。精神分析家だったらこのように考えるかもしれない。
「いや、それは意識的に思い出さないだけで、本人はそれを抑圧しているということです。無意識はそれを記憶している訳であり、その何らかの影響はその人の日常生活に及んでいるはずです。その人が本当の意味で過去のトラウマから自由になるためには、それを想起する必要があるのです。」このロジックに根拠がないと言い切れる人はいないはずである。だから精神分析と解離理論の対立はある意味では不可避的なのだろう。
トラウマに直面すること

以上トラウマを忘れることについて書いた内容は、必然的にそれと逆の方向、すなわちトラウマに直面することについての議論も含んでいることに気付かれよう。トラウマについての記憶がフラッシュバックの形で頻繁によみがえる場合、トラウマを思い起こさせるような場所や事柄をいつの間にか避けている場合、そしてそれが日常生活に支障をきたしている場合である。この回避行動は実際に行動レベルで知らずに起きるということがある。例えば自分がトラウマを受けたと感じる人に出会う可能性のある場所に向かおうとしても、足が動かなくなってしまう、気分が悪くなる、など。