2013年7月11日木曜日

こんなの書いたなあ (8)

精神科治療学神科治療学25巻増刊号「今日の精神科治療ガイドライン」(星和書店、2010)

転換・解離性障害  
                    
I. はじめに
転換・解離性障害は、従来ヒステリーと呼ばれていた病態が、現代的な解離の概念とともに装いを新たにしたものである。疾患概念としては、現在のICD-10におけるF44解離性(転換性)障害がこれに相当することになる。ヒステリーは従来は「解離ヒステリー」と「転換ヒステリー」という二つのカテゴリーからなる精神疾患の一つとして記載されてきた。そして1980年のDSM-III1)以降、ヒステリーは解離性障害のもとに再分類され、上述の国際分類ICD-10 (7)もそれに従ったという経緯がある。解離の概念をいかに定義し、理解するかは立場によって微妙に異なるが、基本的には「意識、記憶、同一性、知覚、運動などを統合する通常の機能が失われた状態」(DSMICDにおける定義)とされる。そしてそのうち知覚や運動に解離の機制が限定された際には、通常は転換症状と呼ばれる。ICD-10には、それらは解離性運動障害、解離性けいれん、解離性知覚麻痺[無感覚] および知覚 [感覚] 脱失等として記載されている。
またICD-10には、それ以外の解離性の障害として解離性健忘、解離性遁走、解離性昏迷、トランスおよび憑依障害が記載され、それに続いて「その他の解離性[転換性]障害」が挙げられているが、この「その他の・・・」が極めて多くの解離性障害を含み、同障害の分類がかなり錯綜している事情を物語っている
さらには解離性障害を解離性障害と一緒に同一のカテゴリーに分類するか否かについてのDSMIV(2)ICD-10の間の齟齬が問題とされている。すなわちICDにおいては、「F44解離性(転換性)障害」という記載が示すとおり、両者は同じ項目に分類されているが、DSMでは、解離性障害は、独立したカテゴリーに分類されている一方で、転換性障害は「身体表現性障害」という別のカテゴリーの一角を占めることになる。解離の専門家からは、むしろICDの立場を支持する声が多いが(6)、Web上で確認する限り、ここに述べた事情は、20135月に刊行が予定されているDSM-Vにもそのまま踏襲されるようである(http://www.dsm5.org)。

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転換・解離性障害の診断は、その他の精神科疾患の診断と同様、患者に向き合った臨床家がそれを頭に思い浮かべることから始まる。過去に様々な疾患概念が注目を浴びるたびにその罹患率が高まるという現象が起きてきた。古くは境界パーソナリティ障害、最近ではアスペルガー障害や双極性障害II型、また最近ではいわゆる「新型うつ病」などが相当するであろう。転換・解離性障害も同様に、最近になり臨床家の間で認識が深まり、鑑別診断の選択肢として臨床家の頭に浮かびやすくなっている。同障害についての臨床家の関心が高まることはもちろん望ましいことではあるが、そこには過剰診断の可能性も増すことはいうまでもない。
以下にいくつかの項目に分けて、転換・解離性障害の診断上の留意点について論じたい。
症状の複雑さ、見え難さ
転換・解離性障害は、解離という現象の性質上、多彩な表現形態をとる。また複数の解離・転換症状の間で互いに移行する傾向もある。そして症状の度合いは時間とともに変化しうるため、短時間の診察ではその症状の存在を把握できない場合も少なくない。さらには転換・解離症状は、様々な精神疾患や身体疾患に伴って、あるいはその影に隠れて存在するものが少なくない。
他の診断との排他性について
転換・解離性障害は、その診断を特に抵抗なく下す臨床家とそうでない臨床家が、比較的明確に分かれる傾向にある。同障害の診断を下さない傾向にある臨床家にしばしば見られるのは、診断についての「ABか」 という二者択一的な考え方である。その一つの現れは、解離性障害には、正常範囲のものと病的なものが明確に分かれるという考えである。
しかし解離性の症状はその軽症なものまで含めれば、私たちの多くが体験可能なものであり、病的レベルのそれとの境界線は必ずしも明確ではない。またかつて病的レベルでの転換解離症状を起こしたからといって、現在の症状が病的レベルに達しているとは限らない。その場合その診断を下すのはさらに難しく、また解離性障害になじみのない臨床家の場合には、余計にその診断を下すことに躊躇しかねない。
診断に関する二者択一的な捉え方はもう一つの現れ方もする。それは他の診断との排他性である。転換・解離性障害に関してこの種の考え方に陥っている治療者も多い。「この患者さんは、解離性ではなく、むしろ境界パーソナリティ障害ではないか?」「むしろこの患者さんはそううつ病だと思う」という議論の背後には、転換・解離性障害はそれらの障害と同時に診断してはならないという前提がある。このことは特に境界性パーソナリティ障害と解離性同一性障害(dissociative identity disorder, 以下「DID」と表記する)との間でしばしば起きるようである。特に患者さんのアクティングアウトの傾向が強く、自傷行為が頻繁に生じ、なおかつ極めて異なる自己像や振る舞いのパターンを示す患者の場合、容易に境界性パーソナリティ障害との混同がなされることが多い。ただし境界パーソナリティ障害とDIDには多くの点で非常に異なる性質を示す傾向にある(5)とはいえ、両者が混在ないし共存する可能性は十分ある。
精神病との区別が難しいこと
これはコラム「解離性障害なのか,統合失調症なのか?」でも解説するが、特にDIDの場合に精神病との鑑別が時に難しいことがある。筆者の経験では、極めて多くの解離性障害の患者が、そのまま精神病の急性期として治療されているという現実がある。そしてDIDなどでもその幻聴のあり方は関係念慮的な色彩を持つこともあるので注意を要する(以下、上述のコラムを参照されたい)。
明白な外傷の存在には過度にこだわらない
.転換・解離性障害の診断について考える際、通常は発症に関わる精神的外傷や心的なストレスが前提とされるが、実際にはそれらを同定することは必ずしも容易ではない。しかし明白な心的ストレスが見出せないことのみを、同障害の診断を下さない根拠とするわけにもいかない。心的ストレスと同障害との因果関係にはいまだに明確に出来ない部分が多く、その場合にいかなる診断を下すかは、個々の臨床家の判断に任せられるのが実情である。
無論転換・解離性障害の患者の発症状況の中に、ストレスや外傷因を探る試みは理にかなっている。しかしかつて笠原が述べた「神経症に近因的心因はなし」(4, P.84)、という原則を転換・解離性障害を扱う際についても念頭におくことで、過度の原因究明の傾向を自らに戒めるべきであろう。
. 治療
転換・解離性障害の治療は、患者の示す身体症状を含む様々な症状や並存症の存在を把握し、また患者のおかれた生活環境を視野に捉えつつ行わなくてはならない。
転換・解離性障害の治療上の大きな特徴であり、また問題でもあるのは、症状そのものに著効を示す薬物療法が存在しないことである。また精神療法は治療の主たる手段となりうるが、同障害に特異的に有効な一つの手法があるわけではない。かつてしばしば試みられたような催眠ないしは暗示による治療は、その有効性の限界や記憶内容の操作が生じる事への懸念から、かつてほど用いられることはない。むしろ併存症の治療や環境の調整を優先し、症状そのものについては経過観察に任せることが必要な場合も少なくない。
危機管理の必要性
解離性障害においては、通常は安定している患者の状態が時に急変し、緊急の介入が必要となる場合が少なくない。患者が職場や宿泊先で突然子供の人格に退行したり、あるいは解離状態で自傷行為に及んだりした場合、事象を知らない周囲の人々は動揺し、しばしば救急車が呼ばれ、時には精神科への緊急入院が図られる。そしてそのまま統合失調症という誤診のもとに精神科の急性期治療の対象となり、それが患者の再外傷体験につながる場合も少なくない。そのために頓服薬の使用なども含めた緊急時の対処法などの準備や指示が特に重要となろう。
治療構造の柔軟性
精神療法を行う際の一つの問題は、解離性障害が通常の意味での治療構造を守ろうとする治療者の意図をしばしば裏切る結果となることである。たとえば分析的精神療法を例に取るならば、通常は週一度、50分というあり方がひとつの基準として挙げられる。しかし現実には、治療時間の終了間際に解離症状が見られたり、別人格が出現したりすることは実際の臨床では少なくない。その際「ここで特別の対応をするよりは、治療構造を守る事を優先すべきである」という判断はしばしば非治療的な結果を生む可能性がある。解離や転換症状が通常は本人の意図的なコントロール外で生じるために、それに臨機応変に対応してもらえないことは、患者の側の無力感を増すことに繋がりかねないからだ。むしろ治療場面においては、「治療構造とは究極的には治療者の倫理的態度そのものである」という覚悟で柔軟に対応することが、治療にとってむしろ必要である場合がある(4)。
現在のストレス因および並存症への対処
一般に解離症状や転換症状がそれらのみ悪化することは少なく、むしろ生活の中で体験されるストレスが関与していることが少なくない。それだけに現在の生活についてどれほどストレス因が継続して存在しているかの査定は重要である。具体的には仕事上ないしは学業上のストレス、対人関係上のストレス、配偶者、恋人との関係上のストレス、居住環境、並存症としての身体疾患、精神疾患の存在である。
転換・解離性障害の症状はまた、併存症の悪化とともに増悪する傾向にある。特にうつ病やパニック障害は解離症状の悪化に結びつく傾向にある。このように併存症見かけ上転換性・解離性障害を悪くしているように見えるということを理解するべきであろう。
同居者の意義
治療の初期ないしは経過中に患者の家族と面会をして、詳細な家族歴をとることには大きな意味がある。転換・解離性障害は、その成因に幼少時の体験が深く関係していることが少なくないからである。また経過が長く、日常的に得られるサポートシステムの存在が必要な症例では、家族に治療過程に参加するよう促すことも有益である場合が多い。
ただし家族及び同居者の存在は患者の日常的なストレス因ともなりうる。解離性障害の患者の中には、特に両親との間に非常に大きな葛藤を持ち続けつつ、日常生活を送っている人が多いというのが筆者の持つ印象である。ひとつ明らかなのは、患者は現在及び過去の対人間の外傷やストレスにかかわった人と常に顔を合わせることは、患者の治療の妨げにしかならないということである。転換・解離性障害が成育歴から生じた場合には、家族との接触は事実上の再外傷体験といわざるを得ない場合が少なくない。
外傷記憶を取り上げるか否か
転換・解離性障害の治療の際にしばしば問題になるのが、外傷に関する記憶を扱うべきか否かという点である。しかしこのテーマをめぐって唯一の正解など存在しない。特定の時点で外傷記憶を扱うことの良し悪しは、その時の本人の機能レベルや適応水準によるという事情がある。
無論本人がまだ心の準備が出来ていないにもかかわらず外傷記憶を扱うことは、再外傷体験につながることは言うまでもない。しかし臨床場面の展開により、外傷を扱わざるをえない時が自然に訪れる場合もある。たとえばDIDでは、何らかのきっかけから、過去の外傷体験に直結した人格が現れる場合がある。その際はその人格に対峙し、交流をはかることが、事実上過去の外傷的な出来事を扱うことを意味することが多い。
この問題との関連で、Lindy, JD は外傷性の障害についての精神療法的アプローチについて次のように述べている。「外傷体験の力動的な再構成に関しては、鈍麻反応ではなく侵入反応の生じている際にそれに乗ずる形で行うことができる。」(3, p.535) これは外傷記憶は急性期において扱う可能性が自ずと開ける、ということである。問題は症状が比較的安定している際にことさら外傷記憶を誘発すべきかどうか、ということであるが、例えば持続的暴露療法の成功例などを見れば明らかなように、それをかなり保護的な状況において、あくまでも患者との十分な合意のもとに行うことが治療の進展につながる場合もあることは、紛れもない事実である。
最後に
転換・解離性障害の治療について論じた。本文で論じたように、同障害の治療法については唯一定まったものがあるとは言えず、治療者は状況ごとに個別に判断し、開拓していかなくてはならない場合が多い。そこには治療者の患者のニーズに対するきめ細かな理解と共に、大胆で創造的な治療構造の形成や変更も必要とされるであろう。また深刻な障害を持つ患者に治療者がひとりで関わることは得策ではなく、医師、心理士、ソーシャルワーカー等がチームとして治療に携わることが望ましいという点を付け加えておきたい。

文献
1American Psychiatric Association : Diagnositc and Statistical Manual. 3rd edition. American Psychiatric Association, Washington, DC., 1980. (高橋三郎、花田耕一、藤縄昭訳 : DSM-III精神障害の分類と診断の手引き. 医学書院, 1982.)
2American Psychiatric Association : Diagnostic and Statistical Manual of Psychiatry 4th Edition. American Psychiatric Association, Washington, DC., 1994. (高橋三郎、大野裕、染矢俊幸訳:DSM-IV精神疾患の分類と診断の手引. 医学書院, 1995.)
3) Lindy, J.D.: Psychoanalytic psychotherapy of posttraumatic stress disorder. The nature of the therapeutic relationship In: van der Kolk, BA, McFarlaine, AC, and Weisaeth, L (eds) Traumatic Stress. The Guilford Press, New York, 525-536, 1996.
4笠原嘉 : 精神科における予診・初診・初期治療. 星和書店,  2007.
5)岡野憲一郎 : 解離性障害-多重人格の理解と治療. 岩崎学術出版社, 2007. 
6Van Der Hart, O., Ellert R. S. Nijenhuis, E.R.S., Steele, K.: Haunted Self: Structural Dissociation And the Treatment of Chronic Traumatization. W. W. Norton & Co Inc., New York, 2006.
7World Health Organization: International Classification of Diseases, 10th edition. Geneva:WHO., 1992.  (融道男、小見山実、大久保 善朗、中根允文 他訳 : ICD-10 精神および行動の障害臨床記述と診断ガイドライン. 新訂版版. 医学書院. 2005.)





コラム 解離性障害なのか,統合失調症なのか?    

従来の精神医学では、統合失調症との鑑別診断として解離性障害が問題とされることは決して多いとはいえなかった。しかし解離性障害についての理解や認識が進むにつれ、多くの同障害の症例が統合失調症の名の下に治療を受け、有効とはいえない抗精神病薬を投与されているようなケースにも関心が向けられるようになってきている。
解離性障害でも幻覚体験が起きることが精神科医に広く認識されるようになったのは比較的最近のことである。すでに何年も前に基礎的なトレーニングを終えた大部分の精神科医にとっては、「幻聴と言えば統合失調症」は常識の部類に属するであろう。すると患者が「誰もいないのに声が聞こえます」と報告しただけで、精神科医が「この人は統合失調症だ」と判断し、その後は急性期の治療としてさっそく抗精神病薬の処方がなされてしまうというわけである。
統合失調症は、以前精神分裂病と呼ばれていた頃は、精神科の病気の中でもとりわけ重篤であるというニュアンスがあった。それが統合失調症という名前に変わったことで、軽症例もあり治療可能な病気という印象を与えるようになっている。しかしそれでも統合失調症は年の単位で学業や仕事を離れて治療に専念することを余儀なくされ、しかも社会復帰が極めて難しい深刻な障害であることにかわりはない。
そのような深刻な疾患である統合失調症が、基本的には神経症圏に属するものとして理解される解離性障害とどうして間違われやすいのだろうか?ひとつには両方の障害において患者は非日常的でにわかには信じがたい体験を語るという点が共通している。そしてもうひとつは、両方とも幻覚症状が頻繁に見られることである。幻覚とは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などを含むさまざまな感覚の異常体験であり、このうち幻聴に関しては解離でも統合失調症でも非常にしばしば体験される。ただし実際には解離による幻聴と統合失調症によるそれとでは、かなり性質が異なるものである。
解離性障害の場合は、幻聴を日常生活の一部として受け入れていることも少なくない。物心ついた時からすでに幻聴が聞こえている場合には特にその傾向が強い。他方統合失調症の方は、発症の数ヶ月前から徐々に幻聴が聞こえ始めたり、場合によってはある日突然声が聞こえ始めたりすることが普通であり、またその声により日常生活もままならないほど苦痛や怯えを感じていることが多い。
以上両障害の幻聴の質の違いについて述べたが、無論あくまでも統合失調症の診断の決め手は、むしろ陰性症状の存在であるという点は強調しておくべきであろう。

以下に解離性障害と統合失調症の幻聴の比較を表に示す。(省略)