2013年7月5日金曜日

こんなの書いたなあ(2)

うーん、力がこもっているなあ。岩崎学術出版社から出た、解離性障害に関する本格的なアンソロジー。しかしこれがまた難しいんだ。解離に関する論客が腕を競って書いているという感じ。解離について、もう少しわかりやすい本が必要なのかもしれない。私もまた小難しく書いた一章である。


(柴山雅俊、松本雅彦編:解離の病理自己・世界・時代 岩崎学術出版社 2012年 より)

BPDと解離性障害          
 
解離性障害、特に解離性同一性障害(dissociative identity disorder, 以下、DID)と境界性パーソナリティ障害(borderline personality disorder, 以下、BPD)との関連について考察するのが本稿の目的である。そこにはBPDの精神病理や臨床所見が解離性障害と深い関連性を持つという前提があると受け取られるかもしれない。しかし私がこのテーマについて論じる立場は複雑であることを最初に述べておきたい。というのも私自身はBPDが果たして解離性障害と深く関連しているかについては確信が持てないからである。以下に述べるとおり、BPDDIDは、その病態としてはある意味では対極的な関係を有するのである。
 ただし近年の欧米の文献は、従来も、そして最近に至っても両者の深い関連性を強調する傾向にある。そこではむしろDIDBPDは同類であるという主張、あるいはBPDと解離性障害は全体としてトラウマ関連障害としてまとめあげられるべきであるという意見、そしてスプリッティングは解離の一種であるという主張が見られるのである。さらにはDID72%BPDの診断を満たすという疫学的なデータも報告されている(Sar, et al 2006)。私自身の臨床からも、解離性障害とBPDが混同されやすい傾向は感じており、また両者の病理が混在しているようなケースに出会い戸惑うこともまれではない。そのため本テーマは十分に論じる価値があるものと考える。
1.これまでの考察のまとめ
解離性障害、特にDIDBPDとの比較について、私自身はかつて何度か論じたことがある。そこでは対照表を作るまでしてDIDBPDの違いを強調してある。
 そもそもBPDと解離性障害(DD)解離との深い関連性については、米国の精神医学の世界ではいわば公認されている。DSM-IV-TR (American Psychiatric Association, 2000)のBPDの診断基準の第9項目には「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」(傍点強調は岡野)が掲げられているからである。ただしこの項目を満たすことはBPDの診断の必要条件ではない。つまり解離性症状を伴わないBPDも当然あることになる。
 この解離症状をDIDBPDの第一の接点とした場合、それ以外にも両者には二つの接点が考えられる。それらはスプリッティングの機制、そしてリストカット等の自傷行為である。結論から言えば、以上の三つの特徴はBPDDIDの両者に共通して見られることが多いが、スプリッティングにより分裂排除された心的内容が、投影や外在化により外に排出されるか否かにより、両者の臨床的な現れ方は全く異なる形をとると考えられるのだ。
精神病様症状と解離 
 BPDの症例においてしばしば、神経症レベルより重篤な病態を思わせる症状が見られることは、従来より論じられて来た。米国でBPDの概念が提唱されるようになった194050年代は、精神疾患に対する精神分析の応用が様々に試みられたが、一見神経症圏にある患者が、カウチの上で退行を起こして関係被害念慮、異なる自我状態、離人、非現実体験等の所見を見せることがしばしば報告されるようになった。後の見地からはそれらは解離性の症状として理解が可能であるが、当時はそれらは「精神病様症状psychotic-like symptoms」として扱われた。つまり統合失調症に見られるような症状に類似するという意味である。これは当時主流であった精神医学が、解離の概念をその語彙としては事実上持たなかったためである。実際スターンStern, A.やナイト Knight, R から、カーンバーグKernberg, O. などのBPDに関する主要文献は、「解離」や「(性的)外傷」についての記述はほぼ皆無であった(Stone, 1986)。この事情を理解するためには、BPDの概念が生まれた背景を理解しなくてはならない。BPDの概念は前世紀の前半に精神分析的な土壌で生まれたが、そこでは自我の機能レベルを神経症水準と精神病水準に大別する伝統があった。そもそもBPDの「境界borderline」も、その患者が両者の境界線上に存在するという理解を反映していたのである。そしてその概念が形成されるうえで、解離の概念が入り込む隙は事実上なかったのだ。 
 やがて1970年代になり、精神科領域における外傷理論が盛んになったが、それとともに従来のBPDの「精神病様症状」も解離性の症状として捉え直されるようになった。それはBPDそのものを外傷性の障害として捉える動きとも連動していた。なぜならすでに解離性症状は疫学的に外傷との関連が論じられつつあったからである。BPDの中核的な症状の中に解離症状を見出すことは、BPDPTSDなどの外傷関連疾患と同列に扱うことが出来るという可能性を同時に示唆していたのだ。そしてそこで抽出されることになった解離症状の多くは、かつて精神病様症状として理解されたものと、事実上同じものだったのである。先ほど述べたDSM-IVBPDの第9項目はそのような背景で生まれたことになる。ただしその中の「一過性の被害念慮」については、解離性障害における訴えとしては典型的とはいえず、むしろ後述のスプリッティングの機制と関連しているものと考えられる。以上を多少なりとも図式化するならば、以下のようになろう。


従来記載されてきたBPDの精神病様症状 ⇒
解離性症状 + 被害念慮

スプリッティングと解離 

BPDDIDの臨床像を比較した場合、両者の共通点と相違点は、それらの障害において主として用いられる機制、つまりスプリッティングと解離の類共通点と相違点に帰着されるべきであろう。そこでまずBPDに見られるスプリッティングについてであるが、それは他者イメージや自己イメージを良いものと悪いものに極端に分割してしまう心の働きといえる。彼らはしばしば他者を悪意ある、迫害的で攻撃的な人とみなしてそれに対して被害念慮を持ったり、逆に善意に満ちて優しく、優れた人として極端に理想化したりする。そして同様の脱価値化や理想化傾向は自己像にも見られる。
 ただし患者の臨床像の中でもっとも「ボーダーライン的」なのは、それを他者への非難や攻撃や自傷行為などの行動で表現してしまうことである。その行動はしばしば唐突で衝動的であり、その背後には、患者の深刻な不安や恐怖および極端な気分の変動がうかがえる。その苦しさから世界を分割して行動に表現するという事情が理解されるのだ。つまり患者の行動化は、彼らの根幹にある不安感や空虚さの防衛として動員されるものであるが、この様な理解は、G.アドラー(Adler,G., 1985)が提起した重要なテーマであった。

(以下略)