2013年6月1日土曜日

精神療法から見た森田療法 (26 最終回)


 
姿勢はメタスキルに通じる、ということでもう少し言うならば、こんなことも言えるでしょう。「他人に対して愛他的である」、「他人の考え方に対して寛容である」「患者の訴えに臨機応変に対応する」「患者が何を欲しているかをいち早く察知する」は私が言うところの姿勢だと思います。しかしこの事をテキストで教えられるでしょうか?森田療法的なスタンスとは、「まあ肩の力を抜いて。焦らずに。症状を取り去ることに躍起とならずに。」という感じでしょう。しかしこれはテキストでは教えることが出来ません。その場で患者を前にしてその心の動きを察知しながら選ばれる言葉や態度によってのみ伝えられることなのでしょう。
以上をまとめると、私の精神分析的な考え方と森田療法とは、双方がメタスキルとしての意味合いを持つという点で共通している、ということが出来ると思います。しかしそれは同時に、森田療法の神髄はおそらく語れないであろうということを認めることにもなります。それはメタスキルが言語では語りきれないのと同じ理由からです。
死と向き合う森田療法
もう一つ私が論じたいトピックが死と向き合う意味についてです。森田正馬先生が死への恐怖と戦ったことはよく語られていますが、森田療法において死をどのように扱うかは重要な問題です。これについて精神分析でどのように扱っているかを少し述べてみたいと思います。それは具体的にはIrwin Hoffmanという分析家の業績です。おそらく森田が十分に扱いきれなかった問題を彼が扱っていると私は考えますので、それをこれから述べさせていただきます。

チャンチャン。とりあえず森田療法についてはひとまずおしまいである。うーん、しかし今日終わるとは予測していなかったな…・