2013年4月26日金曜日

DSM-5と解離性障害(23)


 もう少しお付き合いいただこう。VDHさんはこう言うのだ。(口調は戻す)
だいたいやねえ、(ちがう、ちがう)DSM-IVの解離の定義自体には、もっとおかしい点がある。たとえば記憶が解離する、という言い方。でも「どこに」解離するのだろうか?記憶がフラフラ空中に浮遊しているわけはないだろう。結局何かの人格についたまま、その人格が解離しているということになる。つまりこういうことだ。Aという記憶が解離する、とはAという記憶を担った人格が解離していることになる。Bという身体感覚が失われたということは、Bを備えている別の人格を想定するという風に。これは大事なてんである。ということで構造的解理論は、解離とは人格がサブシステムに分かれることをさす。それぞれのサブシステムが自立性を備え、安定性を保っているのである。それらは平行して、あるいは順次活動することになる。
ここからVDHの十八番である構造解離理論に入っていくが、この文脈でこの一見難解な理論を説明されると少し理解が進む。彼は、PTSDを第一次解離に含める。第一次解離とは、人格がANP(普通っぽい人格)EP(激しい感情を持った人格)に分かれた状態だ。つまりトラウマを負った人は、そこですでに人格が解離していると理解する。フラッシュバックを体験している人は、トラウマを体験した人格に戻っていると考える。フラッシュバックとはすでに人格の解離の表現である・・・・。わたしは最近この考え方に近くなっている。これは逆に考えれば、人格の交代も一種のフラッシュバックであり、その複合的な形態である、と捉えることにもなるのだが。
さてこの観点からVDH先生は、DSM-5の「解離タイプのPTSD」という概念について、バッサバッサと切っていく。
彼は言う。狭義の解離概念、つまり構造解離理論によれば、PTSDのクラスターB症状、すなわちフラッシュバックなどの侵入的な体験は、解離なのだ。解離の陽性症状というわけである。ここからさらに先生のぼやきが始まる。だいたいDSMの記述は一貫していない。PTSDの症状の記述で、あるものについては解離性と明記し、あるものはしない。さらにはPTSDの弟分ともいえるASD(急性ストレス障害)については、同じ症状でも「解離性」と表現されている。ASDの概念は、解離陣営が強く推してDSMに組み込まれたという経緯があるからだ。そして結局は言うのだ。非・解離タイプのPTSDも、解離性ではないというわけではない。そりゃそうだな。