解離の話、もうちょっと続くのでご勘弁を。ヴァン・デア・ハート(以下、VDH)先生が個人的に送ってくれた彼の論文を読んでみようと思う。というのも彼は生粋の「解離屋」で、この論文もかなり熱がこもっているからだ。Dissociation and PTSD. Is there a Nondissociative type of PTSD?: A Perspective
from the theory of (structural) Dissociation of the Personalilty. どこに載る論文かは不明だ。
彼がどこかに投稿するつもりで書いたらしい。とすると詳しい内容に触れることはできない。しかしこの題からわかることは、「じゃ、PTSDには非解離タイプというのものがあるとでも言うの?(結局PTSDの症状って、広い意味での解離じゃないですか!)」という論調だということである。解離屋の面目躍如たるタイトルである。(彼は日本語を読まないから、結構好きにかける。)
Abstruct に見られる議論は、以下の通りだ。「構造的解離理論の立場によると、解離症状には、陽性のものと陰性のものがある。陽性症状とはフラッシュバックのことで、陰性症状は鈍磨反応である。だからPTSDの非・解離タイプといっても結局解離なのだ。この分類は問題が大きいのだ。」
VDH先生によれば、解離タイプのPTSDという分類は、悩ましい問題(blessing and a curse)であるという。私もそう思った。PTSDにサブタイプが存在するという議論は、PTSDサイドの人たちにとっては新たな話題の提供となるわけだが、解離とは何か、という概念上の問題をも浮き彫りにすることになった。まさにVDH先生のおっしゃるとおり、「じゃ、(非・解離タイプのPTSDに特徴的な)フラッシュバックは、解離症状じゃないんですか?」ということになるからだ。これに対するPTSD型の説得力ある回答はおそらく得にくい。これではPTSDが解離屋さんによって食われてしまう?ちなみに同様の問題は、転換性障害にもいえるのはお分かりだろう。解離には精神症状も身体症状もある、となると転換性障害は解離性障害に入ってしまう。身体化障害も解離に食われてしまう?
従来PTSDを扱う専門家たちは、その症状を「解離性」のものと表現することを避けてきた。実はこの恐れがあったからである。ところが彼らがある意味では率先してPTSDを疑われる患者さんたちに解離尺度を用いる必要に迫られることになる。なぜなら彼らは治療の選択肢としても重要な解離タイプと非・解離タイプの判別を余儀なくされているからだ。
ちなみにこのPTSDと解離との悩ましい関係については、3つの解決?方法があるという。Salzman と Koopman (2009) によればそれらは
1
解離とPTSDは、一つの現象の別々の側面である。だからPTSDを解離性障害の一つとして分類してしまう。
2
PTSDには解離型のサブタイプが存在するのだ。← DSM-5はこれを採用することになる。
3
PTSDと解離は別物である。
もちろんVDH先生は1の支持者である。私も、なんとなく・・・・・・。