2013年4月13日土曜日

DSM-5と解離性障害(10)

 本論文も終盤に向かうが、重要な情報が多く、その分逐語訳的になっていく。(読者完全無視!) 最近の研究では、解離性障害の医療経済的な意味が問われているという。これも前論文にも紹介された2010年のNew England Journal of Medcince に基づく情報だが、ある一群の人々について調べると、17の精神疾患のうち、解離性障害が最も高額の精神療法のコストがかかっていたという。また解離傾向の高い人は高率で自殺企図、自傷行為、自殺念慮を訴えるという。さらには一群のBPDの患者について調べると、解離傾向を持つことで、それだけ治療の転帰が悪かったとのことだ。
 ちょっとここまで。これらはとても考えさせられる情報だ。解離性障害は精神障害をそれだけ重篤にし、医療経済を圧迫する、という結果を示しているのだ。ちょっと解離性障害が悪者にされているという気がする。私は患者さんたちに対して、解離性障害は基本的には時間とともに回復傾向にある病理だという言い方をしている。事実かなり多くの患者さんの症状が時間とともに改善していく。ところがこれらの研究は解離という病理がいかに治療にお金と時間がかかるかを強調しているのである。これには次のような説明が必要だろうか。
 
そもそも病理性を伴う解離傾向は幼少時の外傷性のストレスが原因となっていることが多いことは確かだ。その意味では深刻な解離症状を伴うこと自身が、さまざまな精神疾患のリスクファクターとなるとともに、それ自身がそれらの精神疾患の併存症となることを意味するのだ。しかしここで私が「病理性を伴う」解離症状、とか「深刻な」解離症状という言い方をしていることに意味がある。解離という現象は幅広いスペクトラムを形成し、健康性の高い人々、例えば解離性のファンタジーを芸術や創作に生かしたり、脳内会議を仕事に生かしたりする人々も存在する。多重人格症状を示す人たちの中にも、立派に社会適応している人たちは多くいると私は理解している。それらの人たちは人生の一時期にストレスや鬱を体験した際に解離症状が顕著にみられ、一時的な治療が必要になるかもしれない。それらの人々がまた社会機能を回復し、解離症状も目立たなくなっていくというケースも私は少なからず体験しているように思う。
更に興味深い情報。解離性の方々の場合、PTSDの暴露療法に対して十分な反応を示さない可能性があるという。外傷性の記憶を呼び起こし、慣れていく、ということが暴露療法の本質であるが、その際に解離が生じることは、この「慣れ」のプロセスを阻む。条件付けで「消去extinction」というプロセスがあるが、扁桃体を基盤としたそのプロセスが解離により阻害される。体験による学習が空回りするプロセスと言ってもいいだろう。