2013年3月24日日曜日

精神分析と家族療法(7)

他人のマイルールに助かることもある
   家族療法についてもう少し真面目に書くが、その前に。マイルールを突きつけられることは、心地よいことでもあることについて。
   たとえば私のクロセットを開けてみると、灰色に細い青と茶の線が入った肌触りの良いジャケットがかかっている。神さんが「これを着なさい」と御徒町の多慶屋あたりで買ってきたものだ。結構気に入っているので着ているが、どうしてこれがいいのかよくわからない。いわば神さんのマイルールがここに入ってきている。私はそれに不満かと言えば特にそうではない。ジャッケットとして何を着るかは、私には「どうでもいい」部類のことだからだ。というよりむしろ神さんのマイルールに「助かっている」のである。感謝しているといってもいい。言われた通り着ていれば一応無難で恥をかかないことがわかっているからである。
  人には全くの苦手、全然わからないという分野がいくらでもある。私は特にそれがひどく、料理やファッションはわからない。(髪の毛は自分で鋏を入れているので、男性の髪型が少し気になる程度である。)するとそこはことごとく他人の受け売りということになる。こだわりがないから同居人のマイルールは法律のように受け入れる。ジャケットについてコメントすることは、自分が知らない領域について専門家に口出しをするようなものだから、畏れ多くてできない。(ただどうしても好きになれない配色のものを着るように言われても、そこは勘弁してもらっている。)
   実は夫婦の間では、このマイルールの相補性があるから、何とかなっているということが少なくない。たとえば私がリビングのカーテンの色にこだわる人間だとしよう。あるいはソファの色や配置でもいい。そのレベルで神さんといちいち喧嘩をするとしたら大変なことだ。インテリアデザイナーのカップルが新居での新婚生活を開始することを想像していただきたい。トイレの便座カバー一つから意見が対立することになるかもしれないのだ。
  一応うちの中で、私のマイルールが通っている部分がある。それは私の机の上、本棚の中だ。そこは治外法権的に認めてもらっている。ここまで管理されたらシンでしまうだろう。それを認めてもらっているので何とかなる。
  パリに暮らしているころ、そこの小さな部屋で新婚生活と留学を同時に始めた若いカップルがいた。二人ともとても素敵な男女で、それぞれを好きであったが、6畳一間で二人暮らしを始めた彼らの苦悩は相当のものだった。何しろ自分の空間を作れない。いつも顔を突き合わせている。マイルールのぶつかり合いはおそらく部屋の隅々まで及んでいる。似たもの通しということもあり、あらゆることに意見が対立していたようだ。
  こんなことを書いているうちに一回分になってしまった。明日こそ、本題に入るつもりだ