2012年10月13日土曜日

第11章 愛着と脳科学 (2)


愛着に関する脳の構造

ところで新生児の段階ではまだ脳幹しか成熟していないと言ったが、脳幹は脳のもっとも原始的な部分である。ここはいわば愛着を始めるための準備を整えているのだ。新生児が母親に自然と惹きつけられ、おっぱいを探すのは誰に教わったわけでもない行動である。脳幹部分にすでにプログラムされた反射なのである。ここでおととい話したANS(自律神経系)の話もおさらいしておくとよいだろう。
 常識的な話だが一応言及しておくと、脳の系統発達を考えると、一番原始的な部分が脳幹だ。「脳科学と心の臨床」で紹介したポール・マクリーンの脳の三層構造説を復習しよう。
1.爬虫類脳(reptilian brain):最も古い脳器官、自律神経系の中枢である脳幹と大脳基底核より成り立つ。自己保全の目的の為に機能する。
2.旧哺乳類脳(paleomammalian brain):海馬、帯状回、扁桃体などの“大脳辺縁系(limbic system)”から成り立ち、快・不快の刺激と結びついた本能的情動や感情をつかさどる。種の保存の目的=生殖活動のための脳。
3.新哺乳類脳(neomammalian brain):大脳新皮質の両半球(右脳・左脳)から成り立つ。言語機能と記憶・学習能力、創造的思考能力など高次脳機能の中枢。
とした。

脳幹は生命の基本的な機能をつかさどる最も大切な部分で、少なくとも赤ん坊は生まれたときから少なくともトカゲや蛇並みの機能はしっかり備えている。2012年の夏に上野動物園でパンダの赤ちゃんが死んだ際に、映像が公開されたのでご覧になった方も多いだろう。あの全くの未成熟な赤ちゃんでさえ、甲高い声で鳴き、お母さんのおっぱいにすがりつく能力だけは備えていた。そしてそこで中心的な働きをするのがANSだ。ちなみにANSについての最近の研究のトピックは、迷走神経の副側迷走神経と背側迷走神経への分類である。両方とも迷走神経だからエネルギーを消費する交感神経のブレーキをかける役割だが、前者が危機的状況でブレーキをかけるのをやめて交感神経を一挙に興奮させるのに比べて、後者はそれでもダメなときにシャットダウンをしてしまうと言うのだ。コンピューターの強制終了とかリセットボタンのようなものだが、これが最近では解離現象と関連付けて理解されている。拙書「続・解離性障害」(岩崎学術出版社)でもまとめたが、危機状況では3つのFが関連する。Fight(闘争), Flight(逃避),  Freezing(凍りつき)。最後がこの凍りつき、解離性昏迷状態の選択と言うわけである。
いずれにせよ愛着を支えているのは、生下時から唯一成熟した機能を営んでいる爬虫類脳(マクリーン)、つまり脳幹、大脳基底核というわけである。

 愛着には爬虫類脳だけでは足りない
結局私が言いたいのはこういうことだ。愛着とは決して心理学的なプロセスだけではない。かなり生物学的なものでもあるのだ。それを通して、脳の配線の基礎が作り上げられていくプロセスでもなる。人はそれを一生使っていくのであるから、しっかりと安定したものが必要だ。建物の基礎部分のようなもの
と考えてもいい。人間は生まれたときにはその脳は未熟で配線はほとんど出来ていないが、動物的な部分はすでに出来上がっているので、まずはそれを使って愛着の形成を開始する。しかしもちろん脳の配線はそれだけでは十分には成立しない。親子の間の情愛の交流があり、そこでの情報の行き来が生じる必要がある。そしてそれには脳幹だけでは全然足りない。感情をつかさどる大脳辺縁系という部分が必要となる。そしてそれがマクリーンの呼ぶ旧哺乳類脳なのである。
ここで考えてみよう。イグアナの親子の仲むつまじい光景など考えられるか?蛇のお母さんが子蛇を抱っこして毛づくろいならぬウロコづくろいをするとか? やはり想像できないだろう。爬虫類はまともな愛着など形成しないのだ。第一愛着、というからにはそこに情緒的な結びつきが想定されるわけであり、それには子供は可愛くなきゃらない。ということはやはり毛とか羽が生えてなくては。ということはやはり哺乳類からだろう・・・・・。ここら辺一気に非論理的になったが、言いたいことはお分かりだろう。親子の結びつきは、そこに情緒が伴わなければ、それを愛着とは呼ばない。そこにかかわるのが爬虫類脳より上のレベルの脳、すなわち大脳辺縁系、特に扁桃核と海馬である。
扁桃核と海馬については、前書「脳科学と心の臨床」でも触れているが、もう一度愛着との関連で触れたい。まず扁桃核。私はこれが好きである。扁桃核オタクといっても言い。だって面白いのだ。(ちなみに「扁桃」とは、平べったい桃、アーモンドの実ことだ。扁桃核も、アーモンドの実に形が似ているということで、この名がついたのだ。)
扁桃核は小さいくせにすごいことをやってのける。まず情報の中に危険なものがあると反応してアラームを出すような細胞がたくさん入っている。人間だったら、クモに反応する細胞、蛇に反応する細胞、職場の嫌いなあの人に反応する細胞・・・・・その大部分は、過去の忌まわしい記憶の結果生まれた細胞である。ということは、まず扁桃核は記憶器官であるということだ。たとえばたまねぎを口に入れてまずくてゲーッとなった子供は、「たまねぎ」と聞くだけで「キライ!」と大声を出すだろう。ということはそのトラウマの記憶と、たまねぎ細胞の形成が共にAMの中で行われると言うことになる。実はこの作業を動物は生まれたときから行わなければならない為に、AMは生下時からもう機能しているというのだ。
では大脳辺縁系のもう一つの主役である海馬はどうなのか?海馬についても前著「脳科学と心の臨床」である程度詳しく書いたことだが、ここも愛着との関連で触れてみる。
 海馬が扁桃核と違うのは、海馬は扁桃核と違って生後の23年はまだ機能しないということだ。その代わり3歳以後は海馬は記憶の中枢となる。そうして扁桃核の暴走を止めてくれるという重要な働きを持つ。それまで人間は海馬なしで生きていかなければならない。
 海馬は記憶の中心となる、と言ったが、その記憶の処理の仕方はかなり「事務的」である。扁桃核による記憶のように未整理で曖昧なものではない。いわば紙に書きとめられたり、ビデオに撮られたような記憶である。いつ、どこで何があったか、など、時空間上に整理された記憶だ。これを心理学では「明白な記憶」と呼ぶ。この明白な記憶があるかないかにより、その記憶の振る舞いは大きく異なってくる。
例をあげよう。ある赤ん坊が蛇を嫌いになったとする。よほどいやな思いをしたのであろう。といっても猿は生まれつき蛇に反応する細胞が扁桃核にあるらしいから、人にもの扁桃核にも生まれつき備わっているかもしれない。しかしともかくも赤ん坊は一度蛇にかまれたり巻きつかれたりするなどして、恐ろしい体験をしてから、それがちょっとしたトラウマになって蛇を見ると泣き声をあげるようになったと仮定しよう。これは扁桃核による反応であることは既に述べた。扁桃核の中にいわば「蛇細胞」が出来上がり、それが刺激されると体中にアラームが鳴り響くのである。
 さてその赤ん坊が蛇の写真を見せられたとしても、少なくとも最初はやはり同じ反応をするはずだ。しかしそれが単なる紙にプリントされたものであり、実際には触っても動かずに、噛まれたりするということがないということを何度か繰り返すうちに、蛇の写真は恐怖体験をもたらさなくなる。私の予想では、その時に扁桃核では「蛇細胞」以外に「蛇の写真細胞」が形成されるからだろうと思う。すると今度は蛇の写真を見てもそちらの方が反応することで、赤ん坊はパニックにはならない。しかしこのプロセスには少し時間がかかるだろう。
さて海馬の機能が成立する3歳以降ではどうだろうか。それでも蛇を怖がる子どもは、始めて蛇の写真を見せられたらパニックになるだろう。しかし一度それを触って確かめ、「なーんだ、怖くないんだ。」という体験を持つと、次回から蛇の写真を見たときにそれを思い出すことが出来る。もちろんそれでも扁桃核のレベルでの反応が残り、ヒヤっとくらいはするだろう。しかし海馬による明白な記憶のお陰で「この間の写真だから怖くないよ」と自ら言い聞かせることで、すぐにその怖さを克服できるという訳である。このように海馬は扁桃核の短絡的な反応を、これまでの記憶を取りだして修正し、抑制することが出来るというわけだ。
さて愛着に関してはどうか。8か月不安などの現象からわかるとおり、赤ん坊は明らかに海馬の成熟前に母親を認識し、他人と区別をすることが出来る。なにしろ2歳までに言葉も習得するということは、海馬以外の記憶のメカニズムは沢山あることになる。扁桃核だって一部は関係しているだろうし、小脳だって大脳基底核だって関与しているかもしれない。要するに明白な記憶はできなくても、慣れ、習慣というレベルで赤ん坊はどんどん外界を取り入れ、学習していく。ということはこういうことだ。海馬は愛着においてそれほど決定的な役割を果たさない。何しろ一番最初の12年の最も愛着にとって大事な時期に機能していないということからもわかる。ただしその12年の期間に養育の破たんやトラウマが生じた場合には、海馬はそれらをある程度修復することが出来るであろう。
仮にごく幼少時、例えば2歳の頃に成人男性からトラウマを受けたとする。海馬の力がなければ、永久にその成人男性を思い起こさせるような人を恐れることになるだろう。しかしその後に様々な「明白な記憶」を蓄積させ、もしそれ以外の成人男性にあった時も、「この人はこの間会った時に安全だっだから、今回も大丈夫だろう」という形で扁桃核の暴走を抑制するのである。