2012年10月12日金曜日

第11章 愛着と脳科学 (1)

  ショアの著作を追うことで自然に導かれるのが、「愛着と脳科学」というテーマである。の発見の重要性である。実はこれには素晴らしいソース本がある。「愛着と精神療法」(デイビッド・J・ウォーリン著、津島豊美訳、星和書店、2011年)である。本書はこの本を導き手として書き進めたい。
 そもそもなぜ愛着の脳科学的な側面が重要なのか。脳は生まれたときもっとも未発達な臓器だ。たとえば腎臓も肝臓も心臓も皮膚も、赤ん坊のそれはサイズは小さいが大人のそれらに匹敵する機能をしっかり持っている。しかし脳の機能は、その生理学的な機能をつかさどる脳幹の部分や、自律神経系統をのぞいたらかなりゼロに近い。なぜなら赤ん坊は一言も言葉を話せず、理解もできず、まだ焦点を合わせてみることが出来ず、実に何にもできないのだ。そして赤ん坊を保育器の中に入れて食物を与えるだけでは脳は永遠に育たない。養育が決定的な影響をもたらすのである。そこで大事なのは、母親から優しくなでられ、暖かな声をかけられ、見つめられ、その他のさまざまな新しい刺激を受けることなのだ。
  ここからは私もよくわからない部分なので、考えつつ書き進めることにする。
私たちが安定した心で社会生活を送っているとしよう。心はおおむね満ち足り、特に不安にざわつくことなく、日常の仕事をこなし、余暇を楽しみ、休息をとる。その間脳はその局所が過剰に興奮して余計な信号を流し込んでくることはなく、その快感中枢は、極めて緩やかながら刺激されているはずだ。脳にそのような環境が出来上がっているという風にも考えられる。いわば心という現象が生じるための安定した環境というわけである。
  ここで局所的な過剰な興奮がないと言ったが、常に大脳皮質の感覚野が自発的に興奮して余計な信号を流し込んできたり(幻覚体験)、青斑核が興奮して不安を引き起こしたり、扁桃核が刺激されて恐怖の感情が湧いたりすることはない、というような意味だ。脳は慣れ親しんだ感覚入力(好みの音楽、アロマ)新奇な刺激(ドラマの思いがけない展開、好きな歌手の新譜)に反応して、あるいは親しい人との触れ合いを通して、あるいは食事や休息により快感を味わい、それが生きる喜びを生む。それらは決して一定限度を超えない、緩やかな快感中枢の興奮なのである。それが心の生育に適した環境を形成する。ではこのような脳の環境とは何かといえば、つまるところ脳という巨大な神経回路の興奮のパターンなのである。ちょうど一定の気温と降水量と風と太陽の光を与えられた気象条件のようなものだ。そしてその基礎を築くのが、生後数年を通して行われる養育なのである。
  こんなイメージでもいいかもしれない。心が豊かな土壌を持つ畑であるとする。最初に耕し、肥料を撒く作業は赤ん坊一人ではできない。赤ん坊はいわば土そのものであり、それを耕し肥料を与えてくれるのは母親なのである。しかもその畑が肥沃になる機会はただ一度しかない。それは赤ん坊という名の真新しい土の時である。誤った肥料を与えらえ、誤った耕し方をされた土地をその後に改良することは至難、というより不可能なのである。