これらの研究は、自閉症の治療にオキシトシンを積極的に用いることができるのではないか、という発想につながる。通常は一回のオキシトシンの投与で効果は数時間持続するというが、その間に、ソーシャルキューの意味を教育して、対人接触を改善しようという試みもなされているという。(American Psychological association, “Oxytocin’s other side”By Beth Azar March 2011, Vol 42, No. 3 (http://www.apa.org/monitor/2011/03/oxytocin.aspx)
ところでオキシトシンに関する知見を、自閉症に対するもっと早期の治療に結び付けられないかという発想も当然おきうるだろう。そもそも自閉症は早期の母子関係に問題があるのではないかという説は、自閉症の存在が注目されるようになった半世紀以上前にはしきりと議論されたことである。今では自閉症には遺伝の要素がきわめて大きいということが知られるようになり、自閉症を母原病とみなすような立場は聞かれなくなったが、この視点は完全に棄却されたわけではない。というのもサルの実験で、母親からグルーミングをより多くもらったサルほど、オキシトシンの濃度が高いということが知られているのだ。これは早期に母親からより多くのケア、つまり愛情のこもった身体接触などが乳児に与えられることが、自閉症の発症を少しでも低下させるのではないかという仮説を抱かせるに十分である。
これとの関連で、母親からの愛情を受けられなかったことで二次的に一種の自閉症のような状態が生まれることが知られているということについては言及しておく価値があるだろう。杉山登志郎先生が提唱なさっている「チャウチェスク型自閉症」という概念をご存知の方も多いだろう。チャウチェスク政権下のルーマニアの孤児院は極めて悲惨な状況で、子供たちはほとんどネグレクト状態に置かれていたという。そしてその子供たちの中には一見自閉症のような様子を示すケースも少なくなかったと報告されている。それを杉山先生は後天的な自閉症の例としてあげているのだが、これに関連するオキシトシンの研究がある。それによればルーマニアの孤児院で過ごした子供たちは、里親に接触してもあまりオキシトシンの量は増えなかったという(Proceedings of the National Academy of Sciences, vol 102, p 17237)。
さてこれらのオキシトシンに関するデータを読んで、私たちはつい単純な発送に戻ってしまいがちかもしれない。「そもそも自閉症児に対して愛情をよりいっそう注げばいいのではないか?そうしたら子供の側にオキシトシンがもっと出るようになるし、自閉症にならなくてすむのではないか。やはり親の育て方が問題ではないか?・・・」しかしそれは自閉症児を持った親の苦労を知らないことになる。いくら情緒的な接近を試みても取り付く島のないのが自閉症児なのだ。彼らの多くは親と視線を合わせようとしない。無理に合わせようとしても顔をそむけ続けるだけだ。それに抱っこをしようにも、そもそも身体接触を嫌う彼らは、体をのけぞらせて逃れようとする。それを押さえつけるのもどこか虐待に似た状況を作ってしまいかねないほどなのだ。(もちろん深刻な例の話である。)