2012年8月13日月曜日

続・脳科学と心の臨床 (77)

小脳はどこに行った?(2

「どこに行った」と言ってもねえ。どこにも行っていないのである。ただ何となくこれまでは軽んじられているというか。ただ小脳にはいくつの特徴がある。それは小脳に限っては、その構造がかなり明らかになっているということだ。大脳に関しては、その皮質は6層構造ということになっているが、かなり場所によりばらつきがある。しかし小脳はどこをとっても規則正しい3層構造をなしている。ネットで検索するときれいな絵が出てきたので拝借する。


http://www.glycoforum.gr.jp/science/word/glycolipid/GLA02J.html より拝借
小脳皮質は顆粒細胞からなる顆粒層、プルキンエ細胞(英語で言えばパーキンジャーセル。最初何の事だか分らなかった。)からなる層、そしてゴルジ細胞、バスケット細胞、星状細胞からなる分子層という三層構造。ここにどのような信号が入ってきてどのように抑制されて、ということがわかっている。細胞の数は膨大である。顆粒細胞だけで500億、と言われている。何か巨大な装置が、脳全体の働きを補助し、支えているらしいということになった。そしてこの小脳皮質の細胞の働きを調べていくと、それは一種の学習を行う機関であるということがわかってきた。
ちなみにそもそも神経回路を3層構造に分け、それが学習の機能を持つというモデルがすでにあった。ローゼンブラットという人が1950年代に提出していた「パーセプトロン」の概念である。これはいわばコンピューター理論と脳科学を合体させたような理論であったが、1970年代になり、小脳の細胞が構成する3層構造が、まさにこのパーセプトロンである、という理論が提出された。ここらへんに昨日名前の出た伊藤正男先生の貢献があったことになる。
このパーセプトロンが行っているのは、例えばある行動を行った際に、それが誤差を生じたという信号を受け取り、その行動をより正確にしていくという作業である。たとえば利き手とは異なる手で字を書く、という練習をする。最初は全く字にならないものが、徐々に形を成していくだろうが、そこで少しずつ正確に字を書けるようになる際には、力の入れ加減、ここの指の筋肉の使い方などに関して数限りない学習を繰り返していく。それを行っているのが小脳のこのパーセプトロンだと考えられるのだ。


いじめ問題について (4)

ここら辺からが本題であり、最も難しいところだ。まだまだ思いつきのレベルであるが、自分の経験に基づいて考えていきたい。ある集団の凝集性を高める条件はいくつかある。一つは利害の共有だ。言うまでもないだろう。そして集団にとっての共通の利益に貢献することは、より強力な形でその個人を集団に結び付ける。オリンピックの団体競技で活躍をした選手は無条件でその存在を肯定され、歓迎されることになる。逆にその利益を守ろうとしない行動をとる人は、それだけでグループから排除されることになる。
もう一つは、敵ないしは仮想敵の存在である。集団はしばしばある種の信条beliefを共有するが、その信条にはしばしば「~ではない」「~に反対する」「~を排除する」という要素が含まれる。そうすることでその信条はより枠づけされ、鮮明になる。そしてその敵を非難したり、それに敵意を示すことは、当然そのグループの凝集性に貢献することになる。
さてこの二つの条件は、ほぼそのまま仲間はずれ、村八分を生む素地を提供する。集団の共通の利益に反した行動を行ったり、集団の仮想的とみなせるような集団に敵対しなかったり、その味方をしたとみなされるメンバーは、その人を排除することがその集団の凝集性を高めることになる。そしてここが肝心なのだが、そのようなメンバーが存在しないならば、人為的に作られることすらある。これがいじめの始まりだと考えられる。
ここで皆さんは思うかもしれない。どうして仲間外れを作らなくてはならないのか? 仲間外れ作らなくても、集団の凝集性を高めることができるのではないか?しかしそれはかなりの部分、その集団のリーダー次第というところがある。ある集団が凝集性を保つ際にそのリーダーの存在は大きい。もちろんリーダーがいなくても、すでに人が何人かが集まるだけでその集団の空気が生まれ、それがメンバーたちを支配することになるだろう。しかしそこにリーダーが存在して空気を支配する場合には、その凝集性は一気に高まる可能性がある。そしてそのリーダーが持つサディズムが上記の二番目の条件を駆使することで、すなわち仮想敵をを排除することで、その凝集性を高めようとした場合、そこに仲間外れが創りだされる可能性は非常に高くなる。
ところである種の仲間外れができかけた場合に、別のメンバーが集団に対して「どうして彼を除外するのか。彼も仲間ではないか?」と訴えることは極めてリスキーなことである。なぜならグループを排除されかけている人を援護することは、その人もまた排除されるべき存在となりかねないということを意味するからだ。「みんなが仲良くしよう」というメッセージは事態を抑制するどころか加速させる可能性がある。こうしてグループから一人が排除され始めるという現象は、それ自体がポジティブフィードバックループを形成することになり、事態は一気に展開してしまう可能性があるのだ。