2012年7月23日月曜日

続・脳科学と心の臨床 (57)


さて、気を取り直して、このショアの論文を読んでみる。それによるとアメリカのゲドーGedoという有名なコフート派の分析家は、精神分析を多方面に広げた要因として二つが考えられると言ったという。一つは乳幼児研究であり、もう一つは中枢神経の研究の発展である。その中でショアが特に主張するのが、無意識と、情緒をプロセスする右脳との関連であるとする。おそらくこれが右脳の最も重要な機能の一つと言えるだろう。
 ところで読者はそもそも脳がどうして右脳と左脳に分かれているのかを不思議に思うかもしれない。それはよくわかっていない。しかし一ついえることは、左右脳の機能分化はかなり明確で、しかも相補的であるということだ。あたかも神が心のあり方の二重性、いわばロゴスとパトスの二つのために、左右の脳を分けたかのようである。右脳の感情的な情報の処理については、たとえば顔の感情を読み取る力は右脳が圧倒的に優れているという。そしてそれだけでなく、表情で感情表現をする際も、右脳の働きが大きい。そこで次に問題となるのが言語だ。「感情が右脳なら、言語は左脳だろう。言語野も左脳にあるだろうし。」ところが必ずしもそうとはいえない。言語機能はむしろ左右脳にまたがっているというニュアンスがあるという。言葉の意味をつかさどるのはもちろん左脳の方だ。しかし感情的な単語を処理するのは右脳であるという。
さらに身体感覚についてはどうか?右脳は身体マップを有して身体レベルで生じていることを常にモニターしているという。つまり感情、身体、それに言語の情緒的な側面まで右脳の支配下にあることになる。
こうした論拠から、ショアは次のように提案する。「フロイトの言う力動的な無意識は、右脳に存在する、階層的で自己組織化する調節システムが各瞬間に行っている活動に相当する」。他方面白いことに、フロイトは自我を左脳の言語野に相当するものとしているというから、フロイトもある意味では同様のことを100年以上前に考えていたと言うことになる。
 ところで無意識が右脳、意識が左脳、ということになると両者の力関係はどうなるのだろうか?右脳と左脳の間には、脳梁という3億本(うろ覚え)の神経回路の束がある。それが左右の脳の交通路と言うわけだが、それらはお互いをけん制したり、活性化したりということが起きているらしい。(Bloom, JS and Hynd,GW: The Role of the Corpus Callosum in Interhemispheric Transfer of Information: Excitation or Inhibition?  Neuropsychology Review, Vol. 15, No. 2, June 20055971) たとえば左脳の活性化は時には右脳を抑制することが知られるが、それが精神分析でいう抑圧に相当すると言うことである。でもそれを言うならば、感情的に高ぶると言語野が抑制するという研究もよく知られている。いわば抑圧の逆方向というわけであるが、これは分析的にはどのように概念化されているかといえば明確ではない(少なくとも私の知識では。)この例に見られるように、右脳を無意識に置き換えるという作業は、これまで精神分析が漠然と概念化してきた無意識の内容を一気に複雑にしてしまう可能性を秘めているだろう。