2012年6月3日日曜日

続・脳科学と心の臨床(11)

薬物療法と脳科学 ― 精神科医は脳を知っているのか?

わが国の臨床心理の方々を取り巻く環境には、諸外国にない特徴がある。それは「心理士は医学について知ってはいけない、かかわってはいけない」ということ、つまり心理士は精神医学にはノータッチでなくてはならないということである。「臨床心理学は精神医学とは異なる一つの学問である」というのは、わが国の心理士が持つべき前提と言える。そこには長い間の心理士と精神科医の確執の歴史があった。そのため心理士が精神医学的な診断を下したり、薬物療法について専門的な知識を持ち、かつそれを来談者に伝えるとなどということには強い抵抗が生まれる。その抵抗は精神科医の側からも、当事者である心理士の側からもあるである。「私は心理士ですから診断は出来ませんが・・・・」という言葉はさまざまな場面で聞かれるし、心理士にとってはそう言うことが日本ではPC(ポリティカリーコレクト、政治的に正しい)なのだ。
この「心理士は医学について知ってはいけない、かかわってはいけない」ということから来る事情は、次のような漠然とした区別である。
精神科医=脳科学を知っている人間、心理士=脳科学を知らない人間

心理士が脳科学に関する無知を決め込むとしたら、それだけの根拠がある。彼らは知ることを止められているからだ。しかしでは精神科医は脳科学を知る人間、といえるのだろうか?建前上は、Yesでなくてはならない。何しろ薬を出すのだから。薬は脳に化学的に作用する。とすれば脳科学を知らずに薬を出せるわけがない。(化学と科学の違いはあるが・・・・。)
ところが実は精神科医は意外に脳科学を知らない。(そういう私も詳しくない。こんな偉そうな本を書いて恥ずかしい話だが。)一つ言い訳をすれば、多くの精神科の薬は、なぜどのように効くのか、ということが詳しくわかってはいない。それにもっと言えば、精神科の疾患がなぜ、どのように生じるのかもわかっていない。たくさんの仮説があるだけである。脳科学的に原因のわかっていない病気に、どのように働くかよくわかっていない薬を出す、ということをしているのだ。これが精神科医が必ずしも脳科学のエキスパートではなくても、曲りなりにも処方箋を書いて生計を立てることができている理由なのだ。
しかし、である。精神科医はどのような薬を使ったが人がどうなるか、については結構詳しい。毎日それをやっているからだ。脳科学的にどうなっているかは詳しく知らないが、結果としてどうなる、ということを知っている。これって結局間接的に脳科学を知っていることにならないか?たとえて言えばこんな感じである。脳はブラックボックスだ。中の構造はよく見えない。何となく輪郭が掴める程度だ。しかしそこにどのような薬物を入れたらどんな反応をするか、ということを経験的に知っている。これはある意味でブラックボックスの性質について知っていることになる。
それでは心理士は、このブラックボックスのことについて何も知らないのだろうか?おそらく。というより人はブラックボックスとしての脳を持った存在であるということを忘れるか、あまり考えないか、である。それを精神科医のように普段から扱うことが少ないからだ。そしてそれは心理士の多くは必要以上に心因論者であるということだ。これには少し説明が必要だろう。

落ち込んでいる人を見かけるとする。心理士は「何か面白くないことでもあったんだろうか?」とまず思うだろう。仕事に失敗したとか、奥さんに逃げられた、とか。ところが精神科医はもう一つ別の見方もする。「うつじゃないだろうか?」それはブラックボックスの中のセロトニンの量に異常があった場合にも落ち込むことを知っているし、それを調節するような抗鬱剤で、落ち込みが良くなるという例をたくさん見てきているからだ。