2012年5月26日土曜日

続・脳科学と心の臨床 序文

札幌の精神神経学会に土曜日だけ参加してきた。「精神科医がいかに患者と治療関係を取り結ぶか」というテーマのシンポジウムの討論者という役目である。学会の最終日であまり参加者がいないのではという企画者の予想に反し、小さめの会場ではあったが8~9割は埋まったのではないかと思う。札幌は気持ちの良い気候だった。タクシーで千歳空港に向かう風景はアメリカにいたころを思わせた。
私が出版のお世話になることが多い岩崎学術出版社によれば、前書「脳科学と心の臨床」(岩崎学術出版社、2006年)は静かに、しかし着々と売れているという。トピックとしては著者である私にとって特に抵抗なく書けるものである以上、ぜひとも続編をということになった。
しかしそれにしても「脳科学と心の臨床」というトピックはトリッキーである。というのも一見明確なテーマのようでいて、ほとんど「心について好きなことを書いてよい」というのに等しいからだ。言うまでもなく脳は心の座である。脳のあり方が心のあり方を100パーセント支配する。このことはスピリチュアリスト精神論者でなければ納得していただけるであろう。いうまでもなく私は非スピリテュアリストであり、唯脳論(養老猛司氏言うところによる)である。そしてそのような立場から心を描くことは、同時に心と脳を描くことになる。脳に根ざさない心の理論などバカバカしくて考える気になれないからだ。

ところで若干スピリチュアリストが「入って」いる人でも、やはり本書の内容にある程度は納得していただけるように思う。というのもそれでも心はある程度は脳に影響を受けているであろうことは、誰も否定し得ないだろうからだ。
もっと言えば私の立場は、心のあり方は体のあり方に100パーセント支配されている、とも言いたいところだ。今これを書いている私も急に腹痛に襲われたら、不安になってトイレに駆け込むことになるだろう。ただし私たちの体のあり方の多くを規定している自律神経系や内分泌系は、中枢神経系に関連している、ということで非常に荒っぽく、これを「脳」に含めてしまうことにする。(続く)