2011年7月5日火曜日

災害とPTSD:津波ごっこは癒しになるか? (3)

トラウマには意味づけが関与している
私が昨日のブログで述べた事は、結局は「トラウマを受けたと思うからトラウマになる(ことになる)」とも言い換えられるかも知れない。しかしこれは誤解を招きかねない、アブない表現だ。「トラウマとは要するに気のせいだ」という風に取られかねないからだ。しかしそうではない。どのような経緯で生じても、トラウマはトラウマであり、同様のインパクトを持ち、同様の病理を生む可能性があるのである。この点を理解していただくのはこの小論の一番の目的である。
もう少し整理して述べるならば、トラウマには、意味づけが決定的なかたちで関与しているということだ。自分の持った体験において我が身が深刻な危機にさらされたという意味付けや認識がそのトラウマという体験を成立させている。時には自分がかつて体験したことが深刻な事態であったことを後から認識して、そこから発症するPTSDもある。
アメリカで同僚医師からこんなケースを聞いた事がある。ある女性が男性に脅されてお金を取られそうになり、すんでのところで逃げて助かったという体験を持った。しかし本人はそれがトラウマになったというほどではなかったのだが、やがて同じ男性が別の女性を殺して金品を奪ったという報道に接して愕然とした。そしてそれからフラッシュバックが起きるようになり、PTSDを発症したということである。つまり自分の持った体験が「自分は殺されかねなかったんだ」という意味を与えられたことで、トラウマとしての意味を持つようになったというわけである。
ただしこの意味づけには、どのような症状として表されるのが一般か、というより細部にわたったものも含まれるのである。PTSDの診断基準に見られるように、トラウマの体験の後、その際体験としてのフラッシュバック、情緒的な鈍磨反応、失感覚、それとは対照的な過覚醒といった症状群は、一部の患者にはごく自然に生じても、それを報道で知ったり、身近にそれを呈している人を見ることで他の患者にもおきやすくなるのであろう。これがWattersがPTSDが文化に規定されるということだ。しかしこれらの症状は何もないところから生まれたのではない。おそらく患者はPTSDを発症しなければ、欝やそのほかの不安障害を呈していた可能性があるのである。
実は同様の文脈で誤解されていると私が考えているのが、「擬態うつ病」ないしは「新型うつ病」である。最近急増しているといわれる「新型うつ病」について論じる人の中には、それが偽うつ病、つまり「うつ病のフリ」に過ぎないという主張も見られる。うつ病の診断が広まることにより「自分もうつではないか?」と思う人が増え、結局は本当にうつでもない人まで、うつだと主張するようになる、というのが彼らの趣旨である。しかしどのような経緯であれ、よほど明らかな仮病を除いては、うつはうつであり、その苦痛は同じであるというのが私が強調したい点である。それまでは自分をうつと考える機会がないためにうつという症状を持つに至らなかった人がうつ病になっているということなのだ。最初から明確なうつ症状を示す人以外に、そのようなタイプのうつもあるということだろう。そのような人はうつ病としての症状を得なかった場合はおそらく上述のPTSDの場合と同様に、別の症状を呈する可能性があるのだろう。でもうつを発症したならば、それはうつであり、通常のうつ病と同様の苦痛を呈するはずである。実際にうつの増加とともにわが国の自殺率も増加していることがそのことを示しているであろう。人は「うつ病のフリ」では死なないのだ。
まさに意味づけから生まれる「文化結合症候群」
ついでにここで私になじみ深い解離性障害の話をしよう。その障害の中に文化結合症候群の話をしよう。文化結合症候群には様々な興味深い病理現象が数えられており、その大半は解離性の障害と考えられる。気が違ったように荒れ狂う「狂躁発作」としてのラター、イム、などは東南アジア諸国に古くから存在が知られているが、これらのいずれにおいても、人はある種の精神的なショックの際に唐突に衝動的で粗暴なふるまいを起こし、後に健忘を残す。
その中で我が国に固有の文化結合症候群として知られるのがイムである。イムは北海道のアイヌ社会における風土病とされてきた。アイヌの中年女性が「トッコニ」(マムシ)という語を耳にしたり、蛇の玩具を見ると、錯乱状態となって人に襲いかかってきたり、物を拾って投げたりする、あるいは他人の言葉をそのまま真似る(反響言語)などの症状も見られる。明治初期に活躍した内村鑑三の息子である精神医学者内村祐之は、このイムを詳しく観察したことでも知られる。彼はイムの発作が防衛の役割を担うものとして理解し、次のように結論付けた。「イムの発作はその安全弁とも理解される…。ヒステリーの発作もイムの発作も、その本来の意味は、天然が弱者のために備えた防衛機転であり、保証機転であるのである。」(内村、1947) この内村の臨床的な評価は、ヒステリーおよび解離性障害に対する当時の一般的な評価を代表しているものと言えるだろう。
ここで注意すべきなのは、文化結合症候群には一定の症状のパターンがあり、人はそれを踏襲した形で症状を形成するということである。これはまさに文化のなせる技である。アイヌの女性はイムの症状を伝え聞く。自分はトッコニという言葉を聞くと人に襲いかかるかも知れないのだ、という情報を頭に入れる。そしてそれらのうちの一部の女性が実際にそれを症状として表現することになる。しかしそれは彼女が作為的に行なったわけではない。症状の形成が文化の影響を受けているのである。