2011年7月3日日曜日

災害とPTSD:津波ごっこは癒しになるか? (1)

昔何度か書かせていただいた心理学関係の雑誌からの原稿依頼が急にあった。テーマも指定されている。「災害とPTSD」。締切りが7月18日という。無茶苦茶ではないか?もう二週間しかないのに。昔からこの雑誌の企画の素早さと斬新さ、そして締切りの急さには悩まされた。二週間の期間に意味のある原稿などかけようか?ところが出来上がってくる雑誌には、同じように急な求めに応じたとしか思えない執筆者の原稿が並んでいる。今回の企画にも錚々たる人々の名前が並び、私のようなものが書かせていただくだけでも僥倖と思わなくてはならない。ということでムリをしてこの場を使わせていただく。と言っても何も新しい素材で書くわけではない。かつてこのブログでも扱った素材の焼き直し、いや焼き増しである・・・。と言ってすでに書き始めている自分が情けない。
津波ごっこの報道
私の素材は、かつてこのブログでも取り上げた、津波遊びの問題である。そのとき私はこんなことを書いた。


2011年5月29日日曜日 「津波ごっこ」について


ネットで昨日拾ったある記事。
東日本大震災の巨大津波に襲われた宮城県の沿岸地域の園児たちが、津波や地震の「ごっこ遊び」に興じている。「津波がきた」「地震がきた」の合図で子供たちが一斉に机や椅子に上ったり、机の下に隠れる。また、子供には不釣り合いな「支援物資」「仮設住宅」といった言葉も聞かれるという。「将来役立つ」「不謹慎だ」と評価は分かれそうだが、児童心理の専門家によると、子供たちが地震と津波の衝撃を遊びを通じて克服しようと格闘しているのだという。「徐々に回数は減ってきましたが、震災直後は『津波がきた。逃げろ』と叫ぶとみんなが一斉に少しでも高い椅子や机に上がる津波ごっこ、『地震だ』と叫ぶと机の下に競って潜り込む地震ごっこを子供たちはやっていましたね」
心理学を専門にしている人間にとっては最も妥当な理解ということであろう。フロイトの「快楽原則の彼岸」での糸巻きの例で、ある意味でお墨付きがついている。私は常識については必ず疑うので、この妥当な説明にも、「本当だろうか?」と考えている部分がある。(大体わかったような説明は嫌いだ。)
それでも確かに多くの子供たちにとってはこの種の遊びは結果的に適応的だということくらいは言えるだろうか。そしてそれにも多くの個人差があるはずだ。おそらく「津波遊び」にはいろいろな子供が加わっているはずだ。津波に遭ってかろうじて生き残り、そのトラウマを克服しようとしている子供、津波に遭わず、それがひとごとだった子供。そして忘れてはいけないのは、クラスメートの「津波遊び」を見てフラッシュバックを起こしてうずくまる子供もいるはずだということである。
大多数にとって適応的なことも、少数の人々には不適応的であったり、外傷的にすらなりうるのである。


ここに書いたことは、私の日ごろの治療観をそのまま伝えていることになる。外傷体験にさかのぼることはそれを克服することにつながるかもしれない。しかし人によってはそれが外傷をより深いものにする可能性もあるのだ。私は臨床家だが、災害やPTSDについて常に頭を悩ましていることがある。それはトラウマをいかに直接扱うか、という問題だ。言うまでもなく患者さんはトラウマの瞬間にとらわれている。何らかの切っかけでタイムスリップして、昔の受傷時の体験を繰り返す。これはPTSDのフラッシュバックの形を取ることもあり、解離性障害における交代人格の出現という形を取る場合もある。これをどう扱うのか?繰り返しを促すべきなのか、抑制するべきなのか?どちらが患者さんにとっていいことなのだろうか?正解はない。その時々で判断するしかない。そしてその判断自体が複雑な要素が絡んでいて決して単純ではない。日々の臨床は実はこの判断の繰り返しと行ってよい。
例えば過去の性被害にあった20代後半の患者さん。加害者への恨みは決して去ることがない。二週間に一度の面接は必ずその話に行き着く。そのエピソードが何度も何度も、何度も繰り返し話される。その話を促すことは彼女が一種の嗜癖を形成することに一役買ってはいないだろうか?
あるいは夜が更けると決まって訪れる名前のない人格が訪れるという30代の女性。その人格は幼少児の外傷を担っている。決してその外傷を忘れられずに、同じ保証を要求する。彼女がその外傷を克服するまで辛抱強く待つべきなのか、それともお引き取り願うべきなのか?
実はこの問題を複雑にしているファクターが、外傷と時間経過の問題である。いつの時点で外傷を想起し、扱うのを援助するべきだろうか?受傷後数時間しか経っていない場合と、数年立っている場合では、その扱いがまったく異なるであろうことを私たちは知っている。外傷の専門家であれば、おそらく誰でも知っている、いわゆるCISDの研究がある。


CISDの不思議
倒れて苦しんでいる人を見たら、私たちはすぐにでも駆けつけて「大丈夫ですか?」とでも声をかけるのではないだろうか?しかしそこでいきなり肩をゆすり、大きな声で話しかけて安否確認をするよりも、そこが安全な場所であることを確認して、当面は何もせずに見守る必要があるかもしれない。もちろんその人が外傷を負っている場合には積極的な治療が必要ということもありうる。最近では以前のように傷口を洗い、消毒して包帯を巻くというやり方よりも、むしろ消毒もせずにそのままにしておくという、いわゆる湿潤療法の方が薦められているという。
心の傷も受傷直後は放っておいたほうがいいのではないかという考え方は常識的といえる。しかし私たちが心の外傷についてまだ十分な知識を持たない頃は、出来るだけ早く手助けを行うべきという考えが支配的であった。いわゆるCISD (Critical Incident Stress Debriefing といわれる治療法が米国のMitchell らによって開発された。
CISDは災害が生じたときに72時間以内に、2,3時間かけてその体験を話し合う機会を提供するものだ。そこでどうやって災害が起きたのか、どのようにそれに対処したのか、何を感じたのかなどについて一種のブレインストーミングを行うことである。ここでデブリーフィングdebriefingとは、本来軍隊で用いられる用語で、帰還兵に戦況を報告させることを指す。Mitchell はもともと米軍のパラメディックであったためにそれを非常事態ストレス・デブリーフィングcritical incident stress debriefing(CISD)として開発した。
このCISDは一時非常に広く行われ、日本でも阪神・淡路大震災を機によく知られるようになった。災害の生々しい体験を直後に救援者や被災者に語らせるという手法は、関係者にいささか躊躇を与えるものではあったが、それがせい先端の治療法であるという意識もあったであろう。本来米国では救急医療が日本よりはるかに進み、その中で開発された手法として浸透したのである。
CISDはこうして災害の際の精神医学的な介入の主流となるはずであった。ところが1990年代後半から新たな研究が報告されるようになった。それはCISDがそれほど有効ではなく、後にPTSDを引き起こす可能性を軽減するというわけではないという研究結果であった。そしてこれが当然物議をかもすことになった。(Rose S, Bisson J, Wesley S: Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review). In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002.)
この事情に関しては日本トラウマティックストレス学会のHPに非常に優れた解説が載っている。それを拝借して説明するならば、医学的なエビデンス・データを発信しているThe Cochrane Libraryも数多くの研究論文や研究者との直接連絡から、CISDの有効性に関する検討を行っており、こちらでは「心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」とより厳しく結論づけ、「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」とまで言及しているという。(以上HPによる解説から。(http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html#top)
外傷を体験した人たちにいち早く行う介入。直感的には決して間違ってはいないCISDという治療手段も、それが逆効果となってしまう不思議。何が治療的に作用して、何がそうでないかはほんとうに難しい問題なのだ。
ちなみに私自身は、CISDが有効であるという説も、かえって害になるという説もどちらも極端であろうと思う。また最初の津波遊びのモチーフに戻る。外傷に立ち返ることは人によっては有効にも無効にも、時には害悪にもなるのである。EMDRしかりTFTしかり、なのである。
第一災害にあった人々は通常は救急隊員やパラメディックや医師たちに様々な質問を浴びせられることになるだろう。心配して駆けつけた家族に一部始終を聞かれるに違いない。同じ助かった仲間からは、運悪く命を落とした人たちの話を聞かされるかも知れない。デブリーフィングで生じる様々な侵入的な体験は、実は不可抗力で生じている筈だからである。
津波のアートセラピーも同様か?
今年の6月11日のブログで、私はこんなことも書いている。
 「アートセラピー」かえって心の傷深くなる場合も
 心のケアのため、被災地の子どもに絵を描いてもらう「アートセラピー」について、日本心理臨床学会が9日、注意を呼びかける指針をまとめた。心の不安を絵で表現することは、必ずしも心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防にはつながらず、かえって傷を深くする場合もあるという。
 被災地では、自由に絵を描いてもらうことが心の回復につながると、個人やNPO団体などが次々に入り、活動している。大手企業が主催する例もある。
 臨床心理士ら約2万3千人が所属する同学会が9日にまとめた「『心のケア』による二次被害防止ガイドライン」では「絵を描くことは、子ども自身が気づいていなかった怒りや悲しみが吹き出ることがある」と指摘。特に水彩絵の具のように、色が混ざってイメージしない色が出る画材を使う際には、意図せず、強い怒りや不安が出てしまう心配があるため、注意が必要とした。

見逃せない記事である。わが国では最近某団体が子どもが津波の体験を表した絵の展示会を行ったが、トラウマ関係者からそれに対する懸念があがった。同様の懸念は諸外国の研究でも明らかになっているというが、これも先日論じた子どもの「津波遊び」と似ていると考えていいであろう。描画は一部(大部分?)の子どもには癒しになり、一部の子には逆の効果がある。あるいは同じ子が描くとしても、どういう状況で何を描くか、誰に描くように言われたか、などにより癒しになったり逆になったりする。治療者や保護者はそれぞれの子どもの様子を見てきめ細かな判断をするしかないという結論に至る。臨床的なかかわりが難しいのもこの点に尽きるだろう。