2011年4月25日月曜日

このところ被災地の方々に何ができるか、と考え中である。これは明らかに私自身の問題でもある。何もしていないという後ろめたさだからだ。純粋に人助けをしたいというのとは違う。母校の精神科同窓のMLで、定期的に精神科医としてボランティアとして働ける人を茨城県、福島県その他で募っていた。月曜の午後の研究日をしばらく提供できないかと考え、距離的には茨城が限界と考えて申し出たが、それは間に合っているから福島を支援してほしい、とのことだった。さすがに福島まで週一度日帰りは無理なので、それではGW中に福島へ3日間、と応募したが、もうその期間は人手が足りているので、6月以降のウィークデイなら可能とのこと。しかし授業がある身ではそれも無理。結局私は何もできていない。私の側が中途半端なのである。被災地救援は、こちらの仕事を犠牲にするしかない。でも日本の臨床にしっかりとしたバックアップシステムがないのも問題だ。また米国での話になるが、同じ職場の精神科医たちはグループでバックアップをしあう関係を作る傾向にある。なぜなら夏や冬に長期の休みをお互いに取ることは互いに了解済みだからだ。相手が休みを取る数日は、処方だけはするなどの体制を作ることで、最小限に回していけるようにする。日本だとそれがない。日本人にとっての休みは、他の人も休みの時に一緒に取るタイプだ。「赤信号、みんなで渡れば・・・・」という訳である。そしてその根底には、仕事を休み、休暇を過ごすことへの後ろめたさがある。(私もその典型である。)